Musical Theater Japan

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『コーカサスの白墨の輪』を語る vol.2  命がけで“こども”を守るグルーシェ役・木下晴香:未来を“想像してみる”契機としての舞台

木下晴香 佐賀県出身。17年に『ロミオ&ジュリエット』でデビュー。以降『モーツァルト!』『銀河鉄道999 さよならメーテル~僕の永遠』『プロデューサーズ』『ファントム』『王家の紋章』『ベートーヴェン』『ファンレター』『レ・ミゼラブル』等の舞台に出演。実写映画版『アラジン』プレミアム吹き替え版ではジャスミンを演じた。©Marino Matsushima 禁無断転載


未来の戦争が終わった後。荒廃した世界で対立する人々の前で、旅の一座の歌手が、ある物語を歌い始める。

内乱の混乱の中、料理女のグルーシェは置き去りにされた太守の“こども”を見かけ、咄嗟に彼を連れて逃亡。

内乱が終わり、太守夫人が“こども”を連れ戻しにやってくるが、グルーシェは引き渡しを拒否する。“こども”の運命は裁判に託されるが…。

 

アメリカ亡命時代のブレヒトが人類への希望をこめて書いたと言われ、1948年の世界初演以来、各地で繰り返し上演されてきた『コーカサスの白墨の輪』が、この春、瀬戸山美咲さんの上演台本・演出で上演されます。

この舞台で今回、戦乱の中で置き去りにされた“こども”を連れ、決死の逃避行を繰り広げるグルーシェを演じるのが、木下晴香さん。王道ヒロインから癖のある役どころまで、多彩に演じてきた彼女をもってしても、本作には独特の難しさがあるのだそうです。稽古の中で木下さんが感じる、本作のポイントとは。表現者として着実な歩みを重ねている彼女に、じっくりとうかがいました。

『コーカサスの白墨の輪』



――大役をつとめることの多い木下さんですが、ストレートプレイで主人公を演じるのは今回が初めてだそうですね。稽古をされていて、いつもとは違うなと感じることはありますか?

「まずとても感じているのは、これまで先輩方の大きな背中に、自分は支えられてきたんだなということです。

今回のカンパニーの中で、主人公役を演じたことがある方に、どんな意識をされるかうかがってみたのですが、意外と“全然意識してないよ”とおっしゃる方もいらっしゃいました。私も気負いすぎないようにしないと…とは思いつつ、この作品にはいろいろな人が登場する中でも、グルーシェがエネルギッシュに物語を押し進めています。

グルーシェを演じることで、自分の中に生まれてくるエネルギーがカンパニー全体にもいい影響をもたらすことが出来たらいいな…と思いながら取り組んでいます」

 

――本作は入れ子の構造になっていて、未来の世界の中である物語が語られ、グルーシェはその“語られる世界”の登場人物です。木下さんとしては、最初に登場する人物が演じているという意識でしょうか、それとも別々に演じていらっしゃるのでしょうか。

「前提としては、“とても遠い未来の女性がグルーシェ役を演じている”のですが、自分の中の意識としては、一応別々と言いますか、グルーシェはグルーシェとして、切り替えて演じているような気がします」

 

――今回、演出の瀬戸山美咲さんは物語の設定を大胆に変えていらっしゃいます。どんな印象を持たれましたか?

「未来の世界って、誰もまだ見たことがないものだからこそ、いかようにもやりようがあるというか、可能性が無限大だなとまず感じました。そして、未来であっても人間ってやっぱりこうなんだなと、人間の“変わらなさ”もすごく感じました」

 

――ブレヒトの原作では対立する“人間たち”のドラマでしたが、今回はもはやそれさえ超えて、“AI”が登場しています。

「テクノロジーの発展やAIについて、“怖い”“恐ろしい”と思いながらも、人間の未来に対して悲観的に捉えているというよりは、そういう未来が待っているかもしれないからこそ、では人間は何が出来るだろうと、“その先”に対して、皆でとても前向きなエネルギーを持って向かっているような感覚はあります。

やっぱり人間のことを信じていたいし、そこに希望を見出したい。おそらく、ブレヒトがこの作品を書いた時にも、未来の人間たちに対する希望が込められていると思うので、時代は変わっても、やっぱり信じたいと思ってしまうのもまた人間なのだな、と思いながらお稽古しています」

 

――内乱が起き、人々が逃げまどう中で、料理人のグルーシェは置き去りにされた太守の“こども”を守り抜こうとしますが、今回の舞台では、この“こども”の姿も大変意表をついたものとなっています。いわゆる“赤ちゃん”ではないこの存在と出会った瞬間、グルーシェはどんな心情だったのでしょうか。

「私自身もここでどういう感情が見つけられるかな、と思いながら稽古をスタートしたのですが、やってみて、瀬戸山さんの意図をすごく感じています。

(登場するのが)赤ちゃんであれば、グルーシェの心情は母性や女性ならではの愛情に集約されてゆくと思うのですが、今回はそういった温かな感情だけでなく、どこか異様に見えるほどの、生命への執着みたいなものを描こうとされているのかな、と。その違和感のようなものも抱えたまま、今、稽古をしています。

それがお客様の眼にはどう映るのか、すごく可能性が広がった気がしています」

 

『コーカサスの白墨の輪』稽古より。撮影:田中亜紀

――“こども”を発見して間もない頃のグルーシェの歌詞からは、母性というより、どこか新たな状況で冒険が始まることへの期待、ワクワク感も感じられます。

「その子との逃避行を決断する時にも、彼女の中に“この子を守るんだ”という強い決意があったのかというとそうではなくて、なぜかわからないけど見捨てられない、頭では理解が出来ていない“衝動”みたいなものからスタートしていくという演出がついています。やっぱり自分が必要とされているという感覚って、人間を強くしてくれるものなんですよね。

ゆくゆくは、苦楽を共にすることで母性が芽生えてくると思いますが、グルーシェはむしろ、この“こども”によって立たせてもらっているんだな、と感じます。内乱が起こって、婚約者のシモンとも離れ離れになってしまい、頼れるものがない中で、この“こども”は、私がいなければ生きていけない。そういう存在があってこそ生まれるエネルギーというか、そういうものに彼女自身が支えられていっているんだな、という感覚があります」

 

――ということは、グルーシェは決して特別ではない、等身大の人物ということでしょうか。

「今回、初めてブレヒト劇に取り組む中で、レクチャーも受けたのですが、ブレヒト劇って、お客様が感情移入することを目的とはしていない演劇なのだそうです。そこがまた難しいなと感じていて。

グルーシェはいろいろな状況に巻き込まれながら立ち向かっていく強さはあると思いますが、決して特別な人だから(逃避行という)行動を取れたというわけではなくて、弱さも見せますし、嘆きの台詞も多いんです。この作品の登場人物たちは、みんなどこかおかしみがあるので、そこに感情移入していただくというよりは、戦争という(極限の)状態の中で、人間はどうなってしまうのかを客観的に見ていただくような作品なのかな…と感じます」

 

――エピローグも“一筋縄では行かない”感が強いですね。

「こちらの人間が善で、こちらは悪だというようなわかりやすい描き方ではなくて、それぞれの人物の中に、争いの種があったり、矛盾や衝動がある。そんな中でグルーシェも一つの結末を迎えますが、瀬戸山さんとしては、このエピローグを書きながら、“では私達人間はどう生きるのか”ということを投げかけたいと力強くおっしゃっていたのが、印象に残っています。

ハッピーエンドのように見えるその先に、何があるのか。やっぱり人間は一筋縄ではいかなくて、複雑なものだという、とても意味のある余韻をお客様に残せる、そんな終幕になっているのではないかなと思っています」

 

『コーカサスの白墨の輪』稽古より。撮影:田中亜紀


――この物語は“音楽劇”として届けられますが、音楽の意味合いをどのように感じますか?

「今回の舞台では、音楽の力をすごく感じています。原作を読んだときに想像していた音楽とは全く違う角度の音楽が使われていて、読み合わせで初めて楽曲が流れた時に、みんなすごく沸きましたね。打ち込み系の音楽というか、ビートを感じるものになっています。

この作品の世界にはこんな音楽が混ざっていくんだとわかった時に、必要な温度感やエネルギー感がばっと広がったので、きっとお客様もびっくりしつつ、納得してしまうのではないでしょうか。驚かされながらも引き込まれてしまう音楽が散りばめられているなと感じています。それぞれの役にあったイメージで、それぞれの生き様が、ビートに表れているような音楽というのでしょうか。例えば私が歌わせていただくナンバーは、グルーシェがこう力強く進んでいるところもあれば、止まってしまいそうになりながら、足音を刻んでいるような音楽もあったりして、音楽を(演じるにあたって)頼りにさせてもらっている感覚があります」

 

――稽古場の空気感はいかがでしょうか。

「今は立ち稽古の一周目で、それぞれのシーンを立ち上げている段階ですが、(意外にも)こんなにみんな笑っている稽古場もなかなかないな、という感じです。この作品に取り組んでいると、人間の“振り切った面白さ”というか、戦乱によって余裕がなくなることで、思いやりであったり、優しさを失ったり、欲に忠実になって行くさま、人間の矛盾がどんどん剥き出しになっていく現場を見ているみたいな感覚があるんですね。悔しいけど人間ってこうだよねみたいなところを、みんなで探しては笑いながら作っています。

読み合わせの時に、(芸術監督の)白井(晃)さんが“ブレヒトってエンターテイメントだと思っているんです”とおっしゃっていたのがすごく強烈に印象に残っていたのですが、それが腑に落ちる稽古場と言いますか。それぞれ、カラーの濃いキャラクターが示されていくなかで、グルーシェとしてどう物語を牽引していけるかなと考える日々です」

 

――カンパニーには木下さんのようにミュージカルに多く出演されている方もいらっしゃれば、ストレートプレイがメインの方もいらっしゃり、多彩な座組ですね。

「歌稽古では、舞台で歌うことをあまりされてこなかった方々も譜面と向き合いながら、ワイワイ助け合って稽古していらっしゃって、最初から和やかかつ団結力のある雰囲気が出来上がっていました。

読み合わせが始まると、皆さんいろんなキャラクターをとても豊かに演じられていて、すごく刺激を受けましたし、お互いの慣れていないところ、わからないところを声に出したり、楽しみながら、みんなでいい刺激をそれぞれに受け取りながら、過ごせているように感じています」

 

――どんな舞台になったらいいなと思われますか。

「この作品を通して、皆さんと一緒に未来を想像してみるというか、一緒に未来に向き合ってみる、見つめてみる、そんな時間になったらいいのかな…と今、思っています。この作品を観たことで、何かを考えたり、行動を起こすきっかけになったり、ちょっとした変革のきっかけみたいなものになれたらいいなっていうふうに思っております」

 

木下晴香さん。©Marino Matsushima 禁無断転載


――“表現者・木下晴香さん”についてうかがいます。今回、決して生易しくはない役どころに挑まれていますが、木下さんが演じるからこそ期待が募るという方も少なからずいらっしゃると思います。例えば2年前に『ファンレター』で演じられた、主人公セフンの想像から生まれ、次第に“ファム・ファタール”的存在となってゆくヒカル役は、非常に強い印象を残しました。

「ヒカルはセフンという主人公から生まれる存在だったので、最初はセフンと向き合いながら、彼が抱いている思いを探し出し、そこから何が乖離して突き抜けていくのか、演出の栗山(民也)さんの言葉を自分の中に取り込みながら、役作りをしていました。
今回は、あの時ともまた違って、人間の矛盾した部分がぎゅっと詰まったようなシーンが多いので、この感情になった直後にこの感情になるのか…という、別の難しさがあります。

普段は、この人物がこの感情になるには、どういう心の道筋を辿るのかと考えていくのですが、今回は台本の通りにとにかくやってみて、その後に自分の体の中にどんなプロセスがあったのかと、通った道を確かめていくような感じです。いっぱいセリフを発してみないと、わからないことがあるから…と。いつもとは逆のルートで、役にチャレンジしている感覚が強いですね」

 

――表現者として、充実した道のりを歩んでいらっしゃる木下さん。いわゆる王道ヒロインをつとめつつ、『ファンレター』や今回のグルーシェのような“難役”にも挑まれていらっしゃいますが、ご自身の手応えはいかがですか?

「自分としては、巡り合うことができた作品に、ただただ必死に、誠実さを持って取り組もうという思いだけでやってきました。自分が強くやりたいと思ってもなかなか巡りあえないこともあれば、思いもしなかった作品にチャレンジできたりすることもあって、未来って予想できないものだと思うので、これからも全力で、出会いを大切に歩んでいけたらなと思っているところです。これからもまっすぐに、頑張っていけたらいいなと思っています」

 

(取材・文・撮影=松島まり乃)
*無断転載を禁じます
*公演情報『コーカサスの白墨の輪』3月12日~30日=世田谷パブリックシアター その後兵庫、岡山、佐賀、愛知で上演。公式HP

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