
“アイデンティティ”とは何かを問う、平野啓一郎さんのベストセラー小説『ある男』を、脚本・演出に瀬戸山美咲さん、音楽にジェイソン・ハウランド(『生きる』)を迎えてミュージカル化。意表をつくこのプロジェクトで、物語の起点となる“ある男=X”を演じるのが、小池徹平さんです。
これまでも『キンキーブーツ』などで大作ミュージカルの日本版オリジナルキャストをつとめ、『デスノートTHE MUSICAL』他ではオリジナル作品の立ち上げにも関わってきた小池さん。いわば百戦錬磨の彼にとっても、本作の“X”役には独特の難しさがあり、稽古が佳境を迎えた中でも、試行錯誤が続いているようです。
現時点で役作りのヒントとなっているもの、ジェイソンさんによる音楽の深さなど、創造の場にいるからこその臨場感溢れるお話をお届けします!
【あらすじ】ある日、弁護士の城戸章良(あきら)は、谷口里枝という女性から奇妙な依頼を受ける。不慮の事故で亡くなった夫が、名乗っていた“谷口大祐”とは別の人物だったらしいというのだ。
仮に“X”と名付けたこの人物が本当は誰だったのか、城戸は調査を始め、Xが戸籍交換によって谷口大祐という人物になりきっていたことを知る。その背景にあったものとは何か。真実を追う中で、自分自身の葛藤と向き合うことになる城戸。自分の存在意義とは、そして自分の生きる道とは…。

同じ世界線にいない人たちの世界が
音楽によって大きく広がってゆくのは
ミュージカルならでは
――まずは本作に出演することになった経緯からお教え下さい。
「本作の井川プロデューサーからマネージャーにお話があり、『ある男』という作品をものすごい熱量でミュージカル化したいとおっしゃっているということでした。井川プロデューサーは、以前僕が出演した『デスノートTHE MUSICAL』を世に送り出した方の一人なので、今回も誰も観たことがない作品が生まれる予感があり、台本も音楽もない段階でしたが、“やるしかない”と思えました。
それから原作を読んで、改めて“これをミュージカルでやるの⁈”と驚きましたが、さすがの着眼点だな、今までにないミュージカルを作ろうとされているんだな、もしかしたら海外展開も狙った作品になるのかな、と思いました」
――稽古も佳境とのことですが、今回は新作ということもあって、中盤で台本ががらりと変わったそうですね。
「ミュージカルとしての効果を考えてのことかと思いますが、空想の中で城戸とXが対峙する描写が増えました。より城戸にとって、Xという人物への興味が深まっている印象はあります。二人で歌うナンバーも増え、二人の人間がシンクロする部分も増えたように感じます。観て下さる方にとっても楽しみが増えたのではないでしょうか」

――本作には「戸籍交換」という事象が登場します。自分が自分であることから逃れるために、戸籍を交換して他人になる…ということなのかと思われますが、自分でない人物を日常的に演じている小池さんは、その心境をどう想像されますか?
「僕たちの仕事は確かに、他者になりきるというところでは似通っている部分もありますが、僕らがなりきっているのは期間限定というか、自分の本名を捨ててやっているわけではないんですよね。
確かに他者になりきって、刑事ものであれば殺人犯の気持ちになるといったこともありますが、ちょっと疑似的というか、戻れる場所がある、いわば保険があるんです。
『ある男』で戸籍交換をしている人たちって、何かしらの傷や苦悩を抱えていて、今の人生から逃げ出し、新たな人生を送りたいという、縋るような思いがあると思いますので、簡単には想像も出来ないような心情です。
ですので、今回演じさせていただく“X”という人物についても、根本的に名前を変えるきっかけになった幼少期の出来事であったり、計り知れないつらさ、苦悩に近づこうと、なるべく似たような感情を見つける努力はしています。でもこの役をやるにあたっては、どうしても役作りでつらくなる部分もありますね」
――ヒントとなるのはやはり、台本や原作に出てくる言葉でしょうか。
「まさにその通りです。まずXを演じるにあたって、自分に似た要素があるかを考え、Xが名前を変えて手に入れた新たな人生、平和に4人家族として過ごしていた日々というのが、今の自分の環境に近しいものがあるように感じました。
そこで、家族の観点から原作を読んでいくと、Xが亡くなったことで、(妻の)里枝が“お父さんの名前が本当の名前ではなかったことをどう子供たちに伝えよう”と悩む描写があったり、子供は子供で、“お父さんはこう考えていたんだ”と感じている描写がありまして、Xが彼らに父親として、夫として、どれだけ向き合っていたかを感じとることができました。
Xがどういう父親だったのか、名前を変えてまで手に入れた生活をいかに大切にしていたかを読み取れる部分がかなりあったので、今はそういうところからXにアプローチしています。そこから彼の過去を遡り、なるべくXに近づいていこうとしているところです」
――彼が里枝と接点を持つきっかけとなるのが「絵画」なのですが、自分を表現するのに、なぜ他の方法ではなく絵を描くことを選んだのだと思われますか?
「遺伝もあるかとは思いますが、Xはきっと、幼少期から自分を抑え込んで過ごして、自分というものは何者なんだろうと考えていたと思います。
そんな彼が、名前を変えても書き換えられないものがあると知って、そこから逃れたり、忘れたりするためだったり、抑え込んでいたものをどこかで吐き出す場所というのが、絵だったのかな。彼が、人ではなく風景を描いているというのも、印象的です。何も考えずに、無心で取り組めるもの。そして、自分の気持ちを表現し、落ち着かせる場所が、たまたま絵だったのだろうと思います。それによって、彼も気持ちが救われていた気がします」
――原作に登場する美しい描写に、Xと里枝が互いにつらい過去を持つ者であることを知り、Xがそっと彼女の手の甲を包み込むというものがあります。それまである意味、世捨て人のように暮らしていた彼が、再び人と接点を持って実社会に戻ってくる瞬間のように見えますが、どこかで彼の中には「戻ってきたい」という気持ちがあったのでしょうか。
「戻って来たかったという気持ちもあると思いますが、彼が里枝に語っていたのは本当の過去ではなく、(戸籍を交換した)谷口大祐さんの過去なんですよね。
Xとしては、谷口の人生を認めてもらったことで、改めて生きた証の一つというか、実感が沸いたのではないかな。本当に新たな人生を得たのだ、と思えたのかもしれません。確かに彼にとって、この瞬間は非常に大きなものだったという気がします」
――さきほども城戸とXの対峙シーンのお話が出ましたが、特に象徴的なのが、製作発表でも歌われた〈暗闇の中へ〉かと思われます。想像の中で、城戸がXの真実に近づいて行こうとするのに対して、Xはそれを拒絶するというナンバーですが、“城戸が想像するXの心情”を歌うというのは、かなり複雑な表現ですね。
「けっこうそういうシーンが多いんです(笑)。Xとして演じる時もあれば、城戸の想像の中のXとして登場することもあります。この想像上のXは城戸が踏み込んでくるのを拒絶していて、心の裏表の、もう一人の城戸なのか?という、不思議な関係ではあるので、確かに難しいところではあります。
でも皆さんに“どういう人物なんだろう”と思っていただきたい部分もあるので、敢えて明確にしたくない気持ちもすごくありますし、いい意味で謎のままでいいといえばいいので、自分の中でうまくふっきれればいいなと思いますが、まだそこまで行き切れていない部分もあって、探しているところではあります。どういう熱量でというのもまだ決まっていないので、まずはいろいろ試してみたいですね」
――ジェイソン・ハウランドさんの音楽について、彼らしいなと感じるところはありますか?
「彼の音楽は本当に幅が広くて、今回もいろいろな楽曲を書き下ろして下さっています。
〈暗闇の中へ〉のように、『デスノート THE MUSICAL』を思わせるような楽曲もありながら、すごく城戸の悩み、もどかしい気持ちを歌う変調的な難しい楽曲があったり、原作や映画にはないような、同じ世界線にいない人たちの世界が曲の中で大きく広がって、そしてまた戻って来るみたいな、楽曲が連れていってくれる『ある男』の世界観が広がっていて本当に素晴らしくて、日々新しく届く楽曲に感動を覚えている状態です」
――ご自身の中でテーマにされていることはありますか?
「Xはこういう人物だ、と自分の中で断言するのではなく、観てくださる皆さんが、城戸とともに、Xはどういう人物なんだろうと想像を掻き立てるような芝居がしたいと思っています。
もちろんXとしてはしっかり生きるつもりですが、歌詞の中には問いかけるような描写もありますので、“決めつけない”ということを自分の中でテーマにしているところはあります」
――城戸役の浦井健治さんとは『デスノートTHE MUSICAL』でもタッグを組んだ仲ですね。
「健ちゃんとは8年ぶりという感覚があまりないんですよ。共通の知り合いがいて、お互い、近況をアップデートしていたからかもしれません。
前回は月(ライト)とL(エル)という対決の構図でしたが、今回は彼が僕の実像を探っていくという関係性で、どこか不思議で、懐かしさもありますね。せっかくなので『デスノート THE MUSICAL』とは全く異なる構図をお見せできたらと思っています。健ちゃんに限らず、今回はカンパニーに以前共演した方、それも第一線で活躍する方が多く、信頼感がすごくあります。作品のメッセージが重い分、安心するメンバーに救われている部分はあります」

――まだまだ試行錯誤があるようですが、最終的に、どんな作品になったらいいなと思われますか?
「製作発表の時に初めて原作者の平野啓一郎さんにお会いして、それまで平野さんがミュージカルというものをどうとらえていらっしゃるか、少し不安があったのですが、ポジティブにとらえていてくださって、楽しみにしていますとお話いただいたので、平野さんにとっても思い入れのある作品ですし、責任をもって舞台をつとめたいなと思っています。
そしてお客様にとっては、作品のテーマについて少し考えたりする機会にもなればと思います。もう一度“自分”というものを見つめ直すことで、ちょっと人生が明るくなる方がいらっしゃるといいですね。今の自分のままでいいんだよ、なのか。変わってもいいんだよ、なのか。人によって様々な見方があると思うのですが、皆さんにとって背中を押せるような作品であるといいなと思っています」
――この作品に挑むなかで小池さん自身の「自分」が揺らぐことはないですか?
「自分ですか?(笑) いや、自分が揺らぐことはないです。こうやって日々悩みつつ頑張っていますけれど、やっていること自体は新しいものを作って皆様に届けること、この作品の素晴らしさを届ける事、今までにないミュージカルになったねと言われるよう、楽しんでやっていることなので、自分がブレる、揺らぐことはないです」
――近年も様々な作品に挑まれ、TVドラマ『離婚しない男』では、振り切った演技で或る意味、コメディを極めていらっしゃいました。どこまで幅が広がっていくのでしょうか。
「『離婚しない男』のあの演技は、台本に書いてある通りにやっただけなんです(笑)。
でも有難いことですよね。今でも、“学園もののドラマでの爽やかな役が好きでした”と言って下さる方がいて、実際昔は爽やかな役ばかりで、この先どうなるんだろうと思ったこともありましたが、こうやってコメディであったり、本当にたくさんの役をいただけるようになり、本当に有難いです。いい歳の重ね方が出来ているのだろうなと思います。
これからも、もちろん爽やかな役もやらせていただくと思いますし、人間でない役が来てもやらせていただくと思いますし(笑)、どんな役でも楽しめている自分がいるので、変に“これはやる、やらない”と決めつけることはしていません。
もちろん、役によっては大変な役もあります。今回のXも本当に心がつらくなる役ですし、体力的に大変な舞台もあれば、気持ちが病んでいく役もあります。でもこんなに濃厚な作品に毎日稽古場で取り組めるのは贅沢だし、とても幸せなことだと思っています」
(取材・文・撮影=松島まり乃)
*公演情報『ある男』8月4~17日=東京建物 Brillia HALL、8月23~24日=広島文化学園HBGホール、8月30~31日=東海市芸術劇場 大ホール、9月6~7日=福岡市民ホール 大ホール、9月12~15日=SkyシアターMBS 公式HP
*小池徹平さんのポジティブ・フレーズ入りサイン色紙をプレゼント致します。詳しくはこちらへ。