冷気を思わせる効果音がうっすらと流れる、開演前の場内。
荘厳な鐘の音とともに流麗な演奏が始まり、一人の男…ウール警部が現れる。
“そう 真実はむなしいだけだ“
捧げ持っていた花輪を置き、彼はどこか厭世的に歌う。
“すべて儚い幻だ…”
この歌詞が意味するものとは――。
栄華を極めたハプスブルク帝国に陰りが見える、19世紀末。
幻影師(イリュージョニスト)のアイゼンハイムは、興行主ジーガとともに各地を巡業していた。
ウィーンの劇場で公演準備をしていると、ウール警部が場内の警備強化を告げに楽屋を訪問。これからオーストリア皇太子レオポルドが、婚約者の公爵令嬢ソフィを伴って来場するという。
何という名誉だとジーガは喜ぶが、彼の胸は別の理由で高鳴る。この10年、幻影師として彼が地位を築いてきたのは、身分違い故に仲を引き裂かれたソフィに再会するため。その時が遂にやってきたのだ(雄大な旋律のソロナンバー「完璧なトリック」)。
“肉体と魂の分離”を描いたアイゼンハイムのイリュージョンは場を騒然とさせ、そのトリックを巡る会話のなかで、彼と皇太子の間には不穏な空気が流れる。ソフィは人目を忍んでアイゼンハイムを訪ね、皇太子に関わらないよう忠告するが、彼の思いが10年前から変わっていないことを知り、心が揺らぐ(メロディが幾重にも展開してゆくドラマティックなナンバー「サヨナラはもう」)。
後日、宮廷を訪れたアイゼンハイムを挑発した皇太子は(勇壮なナンバー「全ては解明できる」)、逆に衆目の中で(「王」の証である)“エクスカリバー”を引き抜くことができず、恥をかかされる。
絶対的権力を握る皇太子を敵にまわそうとするアイゼンハイムにソフィは怒りをぶつけるが、“愛が無いなら僕は去ろう”と言われ、抑えていた本心が迸る(激しくも甘美なデュエット「あなたの腕へ」)。
二人の密会は皇太子の知るところとなり、さらに彼女が肌身離さないロケットを巡って、皇太子はソフィに手を上げてしまう。出ていった彼女は、その後変わり果てた姿で発見。アイゼンハイムは悲嘆にくれ、ウールは殺人事件として捜査を始めるが…。
2021年1月に開幕が予定されながら、コロナ禍の影響でコンサート・バージョンでの上演に変更となった日英合作ミュージカルが、4年の歳月を経てフル・バージョンで登場。海宝直人さん、成河さん、愛希れいかさん、栗原英雄さん、濱田めぐみさん…と、21年バージョンと同じ顔ぶれが揃い、満を持しての上演です。
原作としてクレジットされているのは、スティーブン・ミルハウザーの短編小説「幻影師、アイゼンハイム」と、それを脚色したニール・バーガー監督の映画『幻影師アイゼンハイム』(2006年)。小説版は(“崩壊寸前の帝国の破滅願望”をさらけ出す)“幻影師”としてのアイゼンハイムの描写がメインで、恋愛要素はほとんど無く(領主の娘ゾフィについてのわずかな言及はあり)、今回のミュージカルの大方のベースは、主人公の愛が主軸の映画版ととらえるのが妥当かもしれません。
ピーター・ドゥシャンの脚本は、禁じられた愛の行方をスリリングに描き、それをウールの回想という“入れ子”構造で俯瞰。マイケル・ブルース(作詞・作曲)の音楽はクラシックを基調としつつ民族音楽の風味も取り入れ(チャールダーシュ的な箇所でヴァイオリンの超絶技巧も登場)、緻密さとスケールの大きさを兼ね備えたスコアとなっています。
フル・バージョン化にあたり、演出のトム・サザーランド(『タイタニック』『パジャマゲーム』)は“アナログ”な表現を多用。大きなアーチのパーツ(美術:松井るみさん)を時に横に並べ、時に十字型に組んで旋回させる際には、アンサンブル・キャストが総出(?)で装置を押し、(“幻影”がモチーフの作品ではあるものの)そこにいるのは生身の人間たちであることが強調されます。薄闇を活かした照明(吉枝康幸さん)も効果を挙げ、2幕でアイゼンハイムが行う降霊術のくだりは“やってきた…”の印象的なフレーズもあいまって、ぞっとするような冷やかさに包まれています。
開幕時のコメントの中で、音楽のマイケル・ブルースは本作を“ミステリー・ロマンス・スリラー”と呼んでいますが、ウールとともに“俯瞰”するうち、観客は作品の中に、恋愛やサスペンスとはまた異なる要素が浮かび上がってくることに気づかされます。
人間はいかに惑わされやすく、彼らが信じる“真実”とはなんとおぼつかないものか。
昨今の身近な例も思い出され、人間社会に対する強烈な“風刺”、もしくは“警鐘”を見出し、震撼する方もいらっしゃるかもしれません。
それでもなお、最終的に舞台がロマンティックな風合いに包まれているのは、サザーランドの絶妙なバランス感覚、そして何より、各キャラクターを演じるキャストの的確な表現によるものでしょう。
アイゼンハイムを演じる海宝直人さんは、高音に至るまで揺るぎのない歌声がソフィへの愛の一途さに説得力を持たせ、彼女を思う際に全身から放つ甘いオーラと豊かな表情も、一幕終わりの悲劇味をいや増します。
そのソフィをきっぱりとした口跡と、儚さの中に芯の見える佇まいで表現するのは、愛希れいかさん。旋律を保ちつつ激情迸る歌唱も際立ち、アイゼンハイムが人生を賭けて愛した女性を魅力的に描き出します。
皇太子役の成河さんは、野心を秘めた帝位継承者の冷酷さ、尊大さを強調。観客から買いかねない同情を巧みに回避し、作品に貢献しています。
栗原英雄さんはものの見方が根底から変えられてゆくウール警部を知的に、かつ人間くさく演じ、ジーガ役の濱田めぐみさんは、興行主としてまとうデカダンなオーラと、アイゼンハイムに“素”で接する際の人情味の対比が鮮やか。その中声域にマッチした楽曲も一音ずつ、丁寧に聴かせます。
東間一貴さんが若き日のアイゼンハイムを、井上花菜さんが若き日のソフィを演じるなど、アンサンブル・キャストは複数の役を演じ分けつつ、前述の通り装置転換でも活躍。その流れるような動きも本作のスリルを高めています。
4年の歳月を経て実現した、今回のフル・バージョン。時間をかけて醸成された舞台は芳醇なワインにも似て、“また味わいたくなる”中毒性を秘めています。
(取材・文・撮影=松島まり乃)
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*公演情報 『イリュージョニスト』3月11~29日=日生劇場、4月8~20日=梅田芸術劇場メインホール 公式HP