2024年夏に上演される、親子観劇にもお勧めの演目3本目は、『空中ブランコのりのキキ』。別役実さんによるサーカスが舞台の童話数作品を、野上絹代さん(構成・演出)、北川陽子さん(脚本)が一本の作品として再構築し、オオルタイチさんによる音楽を織り交ぜた新作音楽劇です。(東京公演では先着で18歳までの子供無料席も有り)
サーカスの“わくわく感”の中で展開する、ちょっと不思議なお話が意味するものとは?
主人公キキを演じる咲妃みゆさん、キキの幼馴染でサーカス一座のピエロでもあるロロ役・松岡広大さんに、やさしい言葉の奥に深い魅力を秘めた本作について、じっくり語っていただきました。
【あらすじ】そのサーカスは、どの町に行っても大盛況。中でも一番人気は、空中ブランコのりのキキが見せる、みごとな三回転宙返りです。
しかしキキには、他の誰かが三回転宙返りをしたら、自分の人気は落ちてしまうのではないかという心配がありました。
不安は的中。誰かが同じ技に成功したという噂が伝わってきます。幼馴染のピエロ、ロロの“生きてさえいれば、いいじゃないか”という言葉にも関わらず、追いつめられてゆくキキ。
そんな中で、キキの前に現れたおばあさんが、誰も成功したことのない四回転宙返りが“一回だけ”できるようになる薬を見せると…。
私たちが思いを巡らせる姿を、別役さんは
楽しく眺めていらっしゃるかも
――本作はサーカスの世界が舞台となっています。お二人はサーカスについて、どんな思い出がお有りですか?
咲妃みゆ(以下・咲妃)「小学校低学年の時に、宮崎にキグレサーカスが来てくださって、家族で観に行ったのが人生初サーカスでした。動物もいるサーカスで、象やホワイトタイガーがいましたね。衝撃を受けた感覚は今も残っています。
大人になってからはラスベガスでシルクドソレイユの『オー』という演目を観たり、昨年は大阪で、和歌山に本拠地のあるさくらサーカスを、その時出演していた『少女都市からの呼び声』の仲間と観に行きました。さくらサーカスでは(客席に降りてきた)ピエロさんにものすごくいじられて、会場中の笑い者になりました(笑)。サーカス経験はわりと多いほうかなと思います」
松岡広大(以下・松岡)「僕は小学校4年生くらいの時に、木下大サーカスを家族で観に行きました。そのころ、既にダンスを習っていたので、母がいろいろなパフォーマンスを見せてあげようと調べて連れていってくれたんだと思います」
――観客の興味の一つとして、今回の舞台では実際にサーカスの技も見られるのかな?といったこともあるかと思いますが…。
咲妃「プロフェッショナルな方々が勢揃いされているので、皆さんの実力は大いに発揮されています。見ていて息を飲むこともありますし、“なんでそんなことができるの!”と思わず声を出してしまうこともあります(笑)」
松岡「僕も声を出していますね(笑)。皆さん、安全第一で命がけの技をやっています」
咲妃「そんな中で我らは我らの役目を全うするべく、お芝居を追求しています」
――本作にはどのように出会われましたか?
咲妃「まず原作を読ませていただいて、その後、徐々に練られていく台本に目を通していきました」
松岡「僕も同じです。中学の国語の教科書にこのお話が載っているらしいのですが、僕が通っていた学校の教科書には載っていませんでした」
咲妃「私の学校の教科書にも載っていなかったのですが、中学教諭である父が、この前、(掲載されている)国語の教科書を見せてくれました」
――お父様から作品について解説していただいたりも…?
咲妃「その時は“先生と生徒”のような会話にはなりませんでしたが(笑)、父の授業は受けてみたいです」
松岡「どんな授業になるのか、面白そうですね!」
――お読みになっての印象はいかがでしたか?
咲妃「心がぎゅうっとなりました。(最後まで読んで)これでよかったんだよねという気持ちと、切ない気持ちが入り混じる感覚がありました。心がパッと晴れるというよりは、すーっと静かに、考えが巡り続けるというか…」
松岡「僕は、扱っているテーマの普遍性をすごく感じました。戯曲の中にはだいたい、“人間とは““生と死とは”について書かれているものが多いと感じているのですが、この作品は全く押しつけがましくなく、“生と死”を扱っていて、非常に読みやすかったです。ページをめくっていて一度も前のページを読み返すことなく、どんどん読み進められたのは久々の体験でした」
――本作の言葉はシンプルで、わかりやすいのですが、別役実さんの童話とあって、もしかしたら一つ一つに何かが込められているのかも、と深読みもしたくなりませんか?
咲妃「どうなのでしょう。別役さんはどこまで、言葉の一つ一つに深い意味をこめていらっしゃるのでしょうね。もちろん、別役さんご自身の中で膨らむ思いはお有りだと思うし、私には想像しきれないような視点で世界をご覧になっているからこその名作の数々だと思いますが、ご本人のインタビュー資料に触れると、すごく柔らかい言葉でお話しなさることに良い意味で驚きますし、ユーモアもお持ちなんだなと安心します。
私たちがたくさん想像して、(どんな意味があるのかなと)思いを巡らせる様子を、もしかしたら“ふふふ”と楽しく眺めてくださっているのではないでしょうか」
松岡「別役さんはインタビューの中で、“最初の20、30ページは書き直したりするけれど、あとは手が書いてくれる”とおっしゃっていました。“手で書く”というのは、自分の中に沈殿しているものが自然に出てくる感覚だと思うので、僕もそこまでの複雑さは感じないです。
すごく柔らかい筆致で描かれていますが、柔らかいからこそ、変容させる力を持っていて、それを僕らがあっちでもないこっちでもないと想像を膨らませる余地を残してくださったんじゃないかなと勝手に思っています」
――受け取り方によっては、哲学的にもとれるお話ですが、どのようにお感じですか?
咲妃「キキは、周囲の人々に喜んでもらうこと、認めてもらうことに自分の存在意義を見出しています。きっと、技を決めて初めて浴びた拍手喝采と湧き上がった興奮が、彼女にとっての幸せのベースになったのでしょうね。だから"自分を求めてもらえなくなる=幸せの源を失う"に思考が至ってたまらなく不安になるのだと思います。
まだまだ人生経験の浅いキキがそこに至る気持ちは、私も痛いほど分かります。キキと同様に、パフォーマンスをお届けすることを生業とさせていただいていますから。咲妃みゆとは何ぞや…と日頃考えることはありますが、特に今回のお稽古期間は考えが巡っています!」
松岡「僕も咲妃さんと同じように、『僕は何者なんだろう』と考えることが頻繁にあります。この思考に至るのはきっと哲学という大きくて壮大なものでもなんでもなく、ありふれているんじゃないかと個人的に思います。
それは名前や存在に注目されるのではなく、キキでいうならば「3回宙返りができるブランコのり」という肩書きそのものだけが先行して脚光を浴びてしまうことを、現実でもしばしば目にします。
肩書きだけに注目されているということを当人が認識したら、『では私に残されているものは何?』と考えるのも自然かなと感じます。ただ自分自身を考えるのは、とっても辛いことだと思います。現実を直視しないといけませんから。なのでとても他人事には思えないなと思います」
――キキとロロの関係性についてもうかがいたいと思います。二人は幼馴染ということで、互いに気心の知れた親友…と思いきや、キキが“友達とかそういうのとは違う”という台詞の箇所があります。実際のところ、どんな間柄でしょうか?
咲妃「キキの中で“友達”の定義が分からないことが大きなポイントだと思います。周りから見たら友達でしょという関係でも、彼女の中ではしっくり来ていないというのが興味深いなと思いますし、役作りの上での大切な鍵だと思っています。
私が思うに、ずっと一緒にいてくれるロロはいつのまにか“半分自分”のような、半身重なっているような感覚なのかなと。間違いなくキキにとってはかけがえのない存在だと思います」
松岡「友達とかそういう関係ではない、というのは真理だなと思っていて、言葉で明言してしまうと壊れてしまう関係なんだろうなと思います。口にしてしまうとわかりやすいし安心できると思うけど、あえて名前をつけないところに美しさがあるように感じます。それが二人の関係性なんじゃないかなと」
咲妃「ロロはどう思っているんだろう?」
松岡「最近演じていて思うのは、“半分自分”というのはしっくりきます。自分事のように感じられることって、すごく大きいんじゃないかなと。ある程度の距離感はあっても、繋がっているところは多い。名前のつけられない関係というのがいいと思います」
――“半身のふたり”ではあるけれど、価値観は対照的ですね。
咲妃「右脳と左脳みたいですよね」
松岡「そうですね! 二人で一つの脳だと思います」
――キキは、他に三回転宙返りの出来る人が出てきたら抜きんでた存在ではなくなる…それでは生きている価値は…と考えてしまい、ロロに「生きていればいいじゃん」と言われます。咲妃さん的にキキへの共感はありますか?
咲妃「以前、妹から投げかけられた言葉を今、思い出しました。コロナ禍で、私たちの生きがいとしている職業が“不要不急”と(世間から)された時に、妹が“お姉ちゃんは生きてさえいてくれたらいい”と言ってくれたんです。“この状況がつらくなったら他にいくらでも道はあるし、やめたかったらやめていいんだよ。お姉ちゃんの生き方は何通りもあって、これが全てじゃないよ”と。
その時、妹が私の存在そのものをぎゅっと抱きしめてくれた感覚があって、彼女のお陰で(コロナ禍にあっても)私は心を保てたのだと思います。(演劇を)“無くてもいいもの”と思われてしまった…と悲しい気持ちになっていたタイミングでそういう一言をもらえて、かなり救われました。
キキにとってはそういう存在がロロなんですが、その言葉の受け止め方は私とは違うんですよね。もちろん共感する部分もたくさんありますが、自分と同じ目線でキキの思考を捉えてはいけないなと、常々思っています。すごく難しいです。ついつい自分のものさし、自分の価値観でこの物語をとらえそうになるので。お稽古しながら、咲妃みゆとしての生き方も同時進行で考える時間が増えていて、これまでにない経験をしています」
松岡「キキを見ていて“わかるな”という部分はとてもあります。先ほどの“不要不急”の件は俳優誰しも考えただろうし、僕はその時期はちょうど舞台の本番中で、“閉館してください”という指令が出た時に、俳優とは何なんだろうと考えました。でも人間って案外、“あってもなくてもいいよね”というものを求めていたりする気がして、そんなに恐れなくてよくない?と思うようになりました。
いっぽうでは、キキのように“何のために、誰のためにやっているのか““どこまで期待に応えるのか”と考えることもあります。彼女の気持ちが痛いほど理解できるけど、でも僕としては(人生は)“それだけじゃないよ”とも言いたくなります。“生きてるだけでいいんだよ”と。(ロロとは価値観の異なる)キキと向き合う時は歯がゆくて、お芝居の間ずっと心が動いています。人間のことをとことん考えられて楽しい作品ですが、どう台詞を発するべきか、難しさも感じています」
――お芝居だけでも味わい深そうですが、本作は音楽劇。どんな曲調の音楽に彩られていますか?
咲妃「この世界観をよくぞ表現なさっているなと感じます。既存の楽曲もたくさん登場するのですが、各登場人物のために書き下ろされた楽曲ではないはずなのに、なぜこうも違和感がないんだろうと」
松岡「歌わされているわけではないし、聴かされているわけでもない。日常生活を自然に音楽化しているような感覚で、ノッキングがないのが素晴らしいです。(作曲の)オオルタイチさんの音楽は独特さもありながら、非常に作品と調和しているなと感じました」
咲妃「でもめちゃめちゃ難しいです!(笑)リズムもメロディも“そう来ますか”と、体に馴染ませるのに苦戦しました」
――歌詞だけ見るとちょっと不思議な言葉遣いのところもありますが、曲と連動することによって一つの世界観が生まれるのですね。
咲妃「どの楽曲も難しいけれど好きです。全部テイストが違うよね」
松岡「そうですね」
咲妃「つながっているようでつながっていない。でもつながっている。そんな印象です。お客様にもお楽しみいただけると思います」
――どんな舞台になったらいいなと思われますか? 子どもたちもたくさんいらっしゃると思いますが、彼らに何が届くといいかということも含め、心境をお教えください。
松岡「どんな舞台に、ということは毎日考えています」
咲妃「お感じになったものをそのまま持ち帰っていただきたいと思いますが、私としては、お一人お一人の存在がいかにきらきら輝いているかを感じていただけたら嬉しいです。
“みんな唯一無二で、それぞれがかけがえのない存在である”ということを私は本作で感じるので、この物語を受け取って下さった後にご自身の物語に目を向けていただく、そんなきっかけになれたらいいなと思います」
松岡「まず気楽に来ていただきたいです。ペアチケットなど、いろいろなチケットがありますので、ご自身にあったお座席、チケットで見ていただければと思います。
お子さんや若い方々には、何より“劇場に行く”ということを体験していただきたいです。劇場に入った時と外に出た時とではまるで心境が違いますし、自分は何を感じたんだろうというのが、自然と心の中でぐるぐるすると思います。そういう状態で自由に想像の世界に浸っていただけたら、僕らにとっては最上の幸福です。一人で観ていただいても、どなたかと一緒でも、心地よくなるような作品にしますので、ぜひ遊びに来てください」
(取材・文・撮影=松島まり乃 ヘアメイク=【咲妃】千葉万理子/【松岡】堤紗也香 スタイリスト=【咲妃】國本幸江/【松岡】九(Yolken))
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*公演情報 せたがやアートファーム2024 音楽劇『空中ブランコのりのキキ』8月6~18日=世田谷パブリックシアター (18歳以下無料 各回100名・先着順。前日迄受付)公式HP 8月31日=アクリエひめじ中ホール
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