Musical Theater Japan

ミュージカルとそれに携わる人々の魅力を、丁寧に伝えるウェブマガジン

『李香蘭』観劇レポート:“戦争”を語り、伝えるという覚悟

『李香蘭』撮影=友澤綾乃

幕の上に広がる、中国の大地。それに呼応する雄大な調べが場内に響き、本編に登場する楽曲をコラージュした序曲が耳を楽しませます。
しかし李香蘭のヒット曲「夜来香」のメロディにさしかかると、不穏な音が忍び込み、みるみるうちに威圧的な曲調に。幕が上がって舞台上には殺気だった民衆がなだれ込み、敵国の日本に協力した“漢奸(かんかん)”糾弾の場が繰り広げられます。
“殺せ殺せ 裏切者を 憎い日本に 祖国を売った…”

『李香蘭』撮影=友澤綾乃

激しい憎悪を向けられる者の中には、清朝の王女に生まれながら日本人の養女となり、“男装の麗人”として一世を風靡した川島芳子の姿も。ここで時が止まり、川島は日本軍部の野望とその終焉、そして日本と結んだことで自身も滅ぶことになったいきさつを語ります。
“ちょっと待ってくれ”
と川島は本題に戻り、“もう一人のヨシコ”こと李香蘭(山口淑子)を紹介。法廷に引きずり出された李香蘭は、満映(満州映画協会)の数々の作品でヒロインを演じたことが、中国人への侮辱にあたるとして責め立てられます。日本と中国が親しく結ばれることを心から願っていたという彼女の訴えは聞き入れられず、求刑は死刑。
“思えばあの日から 運命が狂い始めた”と、脳裏に蘇る少女時代の記憶…。   

『李香蘭』撮影=友澤綾乃

中国東北部の奉天で生まれた山口淑子は、日中友好を願った父の意向で、13歳にして李将軍の養女に。“李香蘭”の名を得て李家の娘、愛蓮にも妹のように可愛がられ、幸せに成長します。
しかし時代は激動のただなかにあり、前年の昭和7年には満州国が建国。“五族協和”のスローガンが掲げられるも、満州の実像は関東軍の傀儡国とも言われ、中国各地では抗日運動が起こっていました。やがて愛蓮も淑子に別れを告げ、恋人の玉林とともに運動に加わることに。
いっぽう関東軍の宣撫工作の一環として設立された満映は、淑子の美声と流暢な中国語に目をつけ、彼女を中国人女優・李香蘭としてデビューさせます。香蘭が人気を得てゆく間にも日本は戦争へと突き進み、昭和16年(1941年)、太平洋戦争が開戦。淑子が兄のように慕っていた満映の杉本も召集されてしまいます。そんなある日、彼女は懐かしい人物と再会しますが、思いもよらぬ事実を知らされ…。

『李香蘭』撮影=友澤綾乃

女優・歌手として国際的に活躍後、政治家に転身した山口淑子さんの半生を、ご自身と藤原作弥さんの共著『李香蘭 私の半生』をもとに(フィクションとして)舞台化。1991年に劇団四季で初演後、再演を重ねてきたミュージカルが、浅利演出事務所で3年ぶりの上演を果たしました。

2015年以降、自由劇場という約500席の濃密な空間で上演されるようになったことで、演出の浅利慶太さんは俳優たちにいっそう“時代を生きること”“時代を見せること”を求めたと言います。2018年に浅利さんが亡くなってからも、この教えは演出管理の野村玲子さんによって徹底されてきたそうですが、今回はロシアのウクライナ侵攻と稽古期間が重なったこともあってか、これまでにも増して全員が一丸となり、戦争の実相を伝えることにフォーカス。なぜ日本が中国東北部に傀儡国を作りおおせたのか。それは現地の中国人たちからどのように怒りを買ったか。満映スター“李香蘭”はなぜ生まれたのか。太平洋戦争に踏み切った日本はどのように多くの犠牲を生みながら敗戦へと向かっていったのか。様々な出来事、国の思惑が絡む経緯を抜群のチームワークでテンポよく、分かり易く呈示し、戦争の愚かしさを伝えています。

中でも際立ったのが川島芳子役の造型。従来は物語の背景を“俯瞰”し、客観的、批評的に語る存在でしたが、今回の坂本里咲さん演じる川島はそれぞれの現場の目撃者さながらの実感をもって丁寧に、観客に手渡すように語っており、“伝える”ということへの強い意志が感じられます。

『李香蘭』撮影=友澤綾乃

彼女が語る世界の中で、野村玲子さん演じる李香蘭は、リサイタルでの大輪の花のごときたたずまいと、裁判の場で民衆の憎悪を一身に集め、いたたまれなさの中でかろうじて立つ姿のコントラストが痛ましく、樋口麻美さん演じる愛蓮は祖国が蹂躙されてゆくのを目の当たりにして“この国は弱い”と悔しさに身を震わせる姿、壮絶な体験を経てなお香蘭を一人の人間として助けようとする姿が鮮烈。近藤真行さん演じる杉本はじめ、死を覚悟して戦地に赴く兵士たちが近しい人々に遺すメッセージには、言葉の清々しさとは裏腹の無念が溢れ、斎藤譲さんが演じる政治家・斎藤隆夫は、軍部が跋扈する世にあっても抗議の声をあげる姿を通して、信念を貫くことの気高さを体現しています。

本作上演の31年の歴史の中で、最も“戦争のリアル”が(作り手、観る側双方によって)共有されたと言っても過言ではない、今回の舞台。次の上演時には少しでも、この“リアル”が遠のいて感じられるように、そして三木たかしさんによる「中国と日本」の輪唱的なモチーフ等、美しい旋律が存分に、“今そこにある戦い”を連想する必要なく、劇場を満たすように。そんな切なる願いが浮かび上がる、2022年の忘れ難き舞台です。

(取材・文=松島まり乃)
*無断転載を禁じます
*公演情報 ミュージカル『李香蘭』4月23日~5月8日=自由劇場 公式HP