Musical Theater Japan

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『next to normal』観劇レポート:絡み合う苦悩、一条の光

『next to normal』©Marino Matsushima 禁無断転載

戸建てをかたどる光のフレームに囲まれた、住居の骨組み(美術・池宮城直美さん)。ダイニングと思しき中央の空間では主婦ダイアナ・グッドマンと息子ゲイブ、夫ダン、娘ナタリーの会話が代わる代わる展開します。

『next to normal』音楽室で"全てを忘れられる”ピアノに熱中していたナタリーは、級友のヘンリーから話しかけられる。©Marino Matsushima 禁無断転載

“退屈”な夫に“くそったれ”の息子、“天才だけど変人”の娘。
愛してやまない“理想の家族”に笑顔を見せるダイアナですが、その言動は時に常軌を逸し、娘は“他の家ならどうするのだろう”と当惑。夫は妻を支えながら、絶望の一歩手前で踏みとどまっている様子です。長きにわたり、双極性障害(躁と鬱の状態が繰り返される精神疾患)を患う彼女のために…。

『next to normal』ダイアナの主治医ファインは、彼女に夥しい量の薬を処方していた。©Marino Matsushima 禁無断転載

疾走するサウンドに乗せて家族一人一人の心境が吐露される冒頭のナンバー“Just Another Day”は、ダイアナの行き過ぎた行動によって曲のていをなさなくなり、破滅的に終了。場面は高校の音楽室でのナタリーと同級生ヘンリーの出会い、そしてドクター・ファインによるダイアナの診察過程へと移ろいます。薬の服用方法を延々と説明する医師を前に、カウンセリングを"恋のゲーム”になぞらえ、妄想するダイアナ。ファインの治療に限界を感じたダンは、職場で勧められたドクター・マッデンのもとへと彼女を連れて行きますが…。

『next to normal』グッドマン家の夕食に招かれたヘンリーは、一見ごく普通の家族の光景を目にするが…。©Marino Matsushima 禁無断転載

ブライアン・ヨーキー(脚本・歌詞)とトム・キット(作曲)が心を病んだ女性とその家族の葛藤を描き、2008年にオフ・ブロードウェイ、翌年ブロードウェイで初演。トニー賞ではベスト・スコア、ピューリッツァー賞では戯曲部門を受賞し、日本ではオリジナル版演出で2013年に上演された『next to normal』が、上田一豪さんによる新演出で再演を果たしました。

「あなたにはわからない」「なぜ俺が見えない」と、ダイアナとダンは激しく言葉をぶつけ合う。©Marino Matsushima 禁無断転載

『next to normal』母にとって自分は透明な存在でしかない、とナタリーは苦しむ。©Marino Matsushima 禁無断転載

17年のシアタークリエ10周年公演『TENTH』(レポートはこちら)で本作のダイジェスト版を手掛けた上田さんにとって、今回は満を持してのフル・バージョン演出。『TENTH』ではコンサート・パートと共通のミニマルなセット上で濃密な人間ドラマを展開しましたが、今回は“家”をモチーフとした抽象的かつダイナミックなセットを使用。家族の存在が心の支えにも、呪縛にもなりうるという二面性を印象付けつつ、場の空気を変えたり感情の高まりを強調する仕掛けとして盆舞台を活用、ユーモラスな要素(二人のドクターや“My Psychopharmacologist and I”のコーラスの描写等)も思い切り誇張してシリアスな場面とのコントラストをつけ、精鋭揃いのキャストとともに躍動感溢れる舞台を創り上げています。

『next to normal』薬に頼らない療法を求め、ダイアナはドクター・マッデンのもとへ。©Marino Matsushima 禁無断転載

『next to normal』ドクター・マッデンがダイアナの発病の原因を探ろうとすると、ゲイブが語り始める。©Marino Matsushima 禁無断転載

登場人物の心細さに寄り添う弦楽器の一音からギター・サウンドが空間を切り裂くハードなロックまで、多彩な曲調を変化自在にこなすバンドも舞台の疾走感に貢献(音楽監督・小澤時史さん)。

『next to normal』ドクター・マッデンはダイアナに催眠療法を試みる。©Marino Matsushima 禁無断転載

2チームに分かれたキャストのうち、安蘭けいさんがダイアナを演じるチームでは安蘭さんとドクター・マッデン=新納慎也さんが初演から、ゲイブ=海宝直人さん、ダン=岡田浩暉さんが17年ダイジェスト版からの続投。ナタリー役の昆夏美さん、ヘンリー役橋本良亮さんは初役です。

『next to normal』マッデンの提案をいったんは受け入れながらも、ゲイブを心のよりどころとするダイアナは…。©Marino Matsushima 禁無断転載

ダイアナ役の安蘭さんは長年の疾病で疲弊しきり、いつぽきりと折れてしまうかわからない危うさを漂わせつつも、しなやかかつ強靭な歌声を響かせながら曲がりくねり、先の見えない人生の旅路を歩むさまが圧倒的。岡田浩暉さん演じる夫ダンは妻を見捨てず、献身を続けるさまに情味が溢れますが、夫・父としての至らなさも隠さず、人間くささもたっぷり。海宝直人さんのゲイブはダイアナの心の支えに相応しい骨太の存在感を放ち、“I'm alive”での、思うがままの伸びやかな歌声がこのキャラクターの哀しみを逆に際立たせています。

『next to normal』ダイアナが治療に耐える間、ナタリーはドラッグとクラブ通いに溺れてゆく。©Marino Matsushima 禁無断転載

昆夏美さんは張りのある歌声と明瞭な台詞を通して、幼くして人生の"やり過ごし方”を身に着けてしまっていたナタリーが、ヘンリーとの出会いを通して微かに希望を抱き始める過程を鮮やかに見せ、橋本良亮さんは期せずしてこの一家にポジティブな風を吹き込むことになるキーパーソンのヘンリーを屈託なく、一途に体現。

『next to normal』治療がダイアナにもたらした影響に困惑したダンは、ドクター・マッデンに説明を求める。©Marino Matsushima 禁無断転載

新納慎也さんはドクター・ファイン/ドクター・マッデンの二役で引き出しの多さを発揮していますが、特にマッデン役における端正な歌声に温かな色味があり、特に終盤、登場人物のみならず観客をも穏やかな境地へと導きます。

『next to normal』ダンたちの支えにも関わらず、ダイアナの中では言い知れぬ違和感が募ってゆく。©Marino Matsushima 禁無断転載

一方、ダイアナ=望海風斗さんのチームは全員が初役。望海さんのダイアナはきっぱりとした口跡、歌唱で人生を諦めない"ファイター”に映り、特に新たな療法を敢然と拒むナンバーが爽快なまでにパワフルですが、ふとした瞬間に心細さ、傷つきやすさが覗き、大胆さと繊細さが同居するヒロインです。渡辺大輔さん演じるダンはそんなダイアナに(情ではなく)今も女性として強く惹かれているように見え、ゲイブとはまるで彼女を取り合う仲。愛ゆえに失態をおかし、その結果に呆然とする姿が同情を誘います。

『next to normal』ヘンリーは母の症状に心を痛めるナタリーをダンス・パーティへと誘う。©Marino Matsushima 禁無断転載

甲斐翔真さんのゲイブはロック調のナンバーでの激しい"叫び”もさることながら、ダイアナと静かに踊るくだりで官能的な空気を醸し出し、人間の心に潜むダークな願望を垣間見せているのが出色。屋比久知奈さんは持ち前のリリカルかつ強い歌声を生かしてナタリーの心境を細やかに描き、大久保祥太郎さんは手探りでナタリーとの付き合い方を見つけようとするヘンリーを素朴に体現しています。おずおずと互いに“傷つけない存在”を目指そうとする二人をいとおしく感じた観客も多いことでしょう。

『next to normal』将来への不安を漏らすナタリーにヘンリーは…。©Marino Matsushima 禁無断転載

そしてこのチームの医師二役は藤田玲さん。ドクター・マッデンがダイアナに対し、真実と向き合うこと、恐怖に打ち勝つことを説くくだりではいくつかの言葉を立て、"ノーマル(正常)な世界からの強迫観念”を象徴するかのごとき厳格な歌声が印象を残します。

『next to normal』ダンには避け続けたゲイブと対峙する時が訪れる。©Marino Matsushima 禁無断転載

それぞれの胸の中に渦巻いていた思いが噴出し、交錯する嵐のような日々。その果てに彼らが築く新たな家族の形は、互いを受容し、“ノーマル”の概念をそっと緩めることで私たちの日常、そして人生が生き易くなってゆく可能性を、多様な問題を抱える現代の人々に示唆しているのかもしれません。横一列に並んだ6人が歌い上げる姿に、そんな祈りが込められているようにも映る幕切れです。

(取材・文・撮影=松島まり乃)
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*公演情報『next to normal』3月25日~4月17日=シアタークリエ,、4月21~24日=兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール、4月29日=日本特殊陶業市民会館 ビレッジホール 公式HP