幕前に現れる、3人の若者。(設定としては“子供”かもしれません)。書物を持った男(ナレーター)が彼らに近寄り、そっと“昔、むかし…”と語り掛けると、そのうちの一人が“願う!”と叫び、彼らはキャラクター(シンデレラ、パン屋、ジャック)として物語を演じ始めます。
なかなか子に恵まれないパン屋とその妻は、隣家の魔女の呪いがその原因であることを知り、それを解くための四つのアイテムを探しに、森へと出発。二人の探求はシンデレラ(『シンデレラ』)やジャック(『ジャックと豆の木』)、赤ずきん(『赤ずきん』)たちの探求と絡み合い、大いなる混乱が生じます。
『スウィーニー・トッド』『リトル・ナイト・ミュージック』等で知られるスティーブン・ソンドハイムが盟友ジェームズ・ラパイン(脚本)と組み、1987年にブロードウェイで初演。予定調和のおとぎ話の“実像”と“その後”を描いた傑作が、久々に日本で上演中です。
それぞれに願いを持ったキャラクターたちの中で、おそらく最も強い願望に突き動かされているのがパン屋夫妻。“子を授かりたい”一心の二人は魔女からアイテム収集というテーマを与えられ、懸命に奔走しますが、所有者たちへの懇願にとどまらず、“強奪”も辞さなかったり、言葉巧みに詐欺まがいの物々交換に走るなど、その手段はあまり褒められたものではありません。
それでも夫婦は何とかアイテムを集め、目的は達成。狼に食べられてしまった赤ずきんも生還し、シンデレラは迷いを克服して王子様と結婚。ジャックは豆の木を登って巨人の財を盗みだし、母親を喜ばせます。そして魔女の行き過ぎた親心を拒絶し、塔から逃げたラプンツェルは王子様と再会。玉の輿のチャンスを逃したシンデレラの義理の姉たちや魔力を失った魔女が苦々しく思うのをよそに、ほとんどのキャラクターは“ハッピー”な状態におさまります。
しかしジャックの冒険が仇となって、人間世界には大きな禍が到来。絶体絶命の状況の中で、人々は一方で本性をさらけ出し、その一方では非力ながらも力を合わせ、困難に立ち向かいますが…。
欲望に突き動かされずにはいられない人間の暗部や、唐突に訪れる死など、この世の不条理を生々しく描きながらも、最終的には勇気を持って“森という名の人生”に漕ぎだそうとする人々に、力強いエールを送る本作。軽快なマーチ(行進曲)調のテーマ曲に始まり、多彩な曲調が緻密に織り込まれ、台詞と一体をなして観客を感動へと導く作品です。
ブロードウェイ初演版は出演者の絶妙の間合いの芝居でしばしば笑いを誘い、“ブラックなコメディ”色が濃く感じられましたが、2014年のハリウッド映画版はメリル・ストリープらの熱演でシリアスかつダークな側面を強調。いっぽう熊林弘高さん演出の今回の日本版は、“パフォーマー”たちが歌舞伎の黒衣的な役割を果たしたり、身体表現で情景を作り出すという趣向も特徴的ですが(ムーブメントディレクター=柳本雅寛さん)、特に顕著なのが“言葉へのこだわり”です。早船歌江子さんの翻訳・訳詞の言葉のチョイスには個性的なものがあり、これまでストレート・プレイを手掛けてきた熊林さんのこだわりが反映されているのでは、と推測されます。
例えば、パン屋夫妻が集めるアイテムの四つ目は、原語では“the slippers as pure as gold”。誰が発してもこの表現は同じですが、今回の翻訳では、魔女が発する時には“きらめく金の靴”、パン屋の妻が言及する際には“キンキラキンの靴”と、人物によって翻訳が変わっており、パン屋の妻のざっくりとした言語感覚、人柄が際立ちます。
また王子様と結婚したシンデレラは、お城の中で“~~じゃ”“~~ぞよ”と、古典歌舞伎の姫君風の口調で(いささか滑稽に)喋っており、継母たちにこき使われていた身分から突如お城に迎えられた彼女の“背伸び感”、もしくは王子の妃を“大いに演じている”スタンスが感じられます。さまざまな口調の駆使による、人物像の表現が意図されているようです。
いっぽうで、それぞれシンデレラ、ラプンツェルと結ばれた二人の王子(奇しくも彼らは兄弟という設定)は、二人で歌うナンバー“Agony(苦悩)”のサビを、原語と同じ“agony”と歌唱。“日本語化(カタカナ語化)”していない英語が登場することで、多くの観客は一瞬、当惑を覚えることと思われますが、シンデレラの王子は何かと言葉を言い間違えるキャラクターということで、彼はここで“agonyという単語は知っているぞ!と誇示している”、といった表現なのかもしれません。
多彩なキャストの中では、魔女役の望海風斗さんが出色。パン屋の父親に対するどす黒い感情、自分の愛情を理解しないラプンツェルへの怒り、他者の運命を支配している筈が自分もまた不条理な世界の“一部”に過ぎないことに気づいての無力感等、折々の彼女の内面を豊かに表現。身体表現や歌声による惜しみない表現で、登場の度、瞬時に場の空気を変えています。シンデレラの王子役・廣瀬友祐さん、ラプンツェルの王子役・渡辺大輔さんは終始ノーブルな口跡。女性蔑視も甚だしいがこれからも反省なく(?)生きてゆくのであろう人物を面白く体現しています。廣瀬さんは『赤ずきん』の狼役も担当し、赤ずきんを誘惑するくだりではフェロモン全開。
赤ずきん役の羽野晶紀さんは、フレーズ終わりをぐいっと上げる、80年代アイドル的(?)な歌唱スタイル。世間を知っているのかいないのか、少女の曖昧な境地を想起させ、ジャック役の福士誠治さんは「Giants In The Sky」で、周囲に愚鈍とばかり思われていた彼が初めて天上の世界で得た“自由”をのびのびと表現。そこでの出来心が後に世界に禍をなすことになるのが、何とも皮肉めいて映ります。湖月わたるさん、朝海ひかるさんは歌舞伎で言う“ごちそう”よろしく、シンデレラの二人の姉役で舞台に厚みを加え、声だけの出演ながら、麻実れいさんの巨人役に凛とした存在感が。
なお、作者のソンドハイムは昨年11月に91歳で逝去。本作の、人間界を恐怖に陥れる“巨人”の存在は80年代当時、世を震撼させていたAIDSのメタファーであるという説もあるようですが、不条理や“死”に覆われながらも、本作は“それでも生きて行こう”というポジティブなメッセージで締めくくられます。まさに今、コロナ禍にあえぐ人々にも届くであろうものが込められ、もっと上演機会があってもいいのでは、と思える作品です。
(取材・文=松島まり乃)
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*公演情報『Into The Woods』1月11~31日=日生劇場、2月6~13日=梅田芸術劇場メインホール 公式HP