Musical Theater Japan

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映画版『イン・ザ・ハイツ』の魅力解剖《後編》

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後半のビッグナンバー「Carnaval Del Barrio」。キャストと60人のダンサーたちが2週間がかりで撮影したそう。ワーナー・ブラザース映画『イン・ザ・ハイツ』(C)Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved

『ハミルトン』のリン=マニュエル・ミランダの出世作を映画化し、日本でも遂に公開された『イン・ザ・ハイツ』。『クレイジー・リッチ!』のジョン・M・チュウがメガホンを取った今回の映画版には、原作舞台とは異なる部分が数々あります。それによって見えてくる、映画版独自の魅力とは。ロケ撮影、キャスティングに注目した前回記事に引き続き、NYの移民街の群像劇を考察します。
(作品テーマへの言及がありますので、気になる方は映画をご覧になってからお読みください)

【あらすじ】
ラテン系がひしめく移民街ワシントン・ハイツ。青年ウスナビが営む雑貨店には連日、タクシー会社を営むロザリオやその従業員ベニー、近所の美容院に勤めるダニエラ、カーラ、ヴァネッサら、地元の人々が買い物に訪れます。
いつか故郷のドミニカに帰りたいウスナビ、ファッション・デザイナーを志すヴァネッサ、父ロザリオの事業を継ごうと、この地区から初めて大学に進学したニーナ…。それぞれに夢見る若者たちを、皆から慕われ、ウスナビの親代わりでもあるアブエラ(おばあちゃん)はあたたかく見守りますが、久々に帰郷したニーナが何事か思い詰めていることに気づき、“どうしたの”と尋ねます。
いっぽう、あまりの暑さにロザリオの会社で働くベニーたちと市民プールに出かけたウスナビは、自分の店から宝くじの大当たりが出たことを知るのですが…。

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ワーナー・ブラザース映画『イン・ザ・ハイツ』(C)Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved
【“入れ子”構造が投げかける謎】

青空に白い砂、打ち寄せる波。
ビーチの一角で、子供たちが男に尋ねます。
「スエニートって何?」
「“小さな夢”のことさ」
「…それでおしまい?お話は?」
所望された男は微笑みながら腰掛け、“消えかけた町”ことワシントン・ハイツの物語を始める…。

今回の映画版はこのように、主人公ウスナビがワシントン・ハイツでの日々を回顧する、“入れ子”の構造を採っています。物語の中のウスナビは、生まれ故郷のドミニカで父と過ごした幼年期を“人生最高の日々”ととらえ、いつか帰郷してバーを経営することが夢。
ということは、冒頭に登場したのはドミニカのビーチであって、ウスナビは夢を叶え、現在はそこで生活しているのか?…そんな朧げな謎とともに、観客はワシントン・ハイツでの群像劇を見守ることになります。

【若者たちの直面する厳しい現実】

原作舞台では貧困のために挫折を味わうニーナですが、今回の映画版ではそれに加え、大学生活の中で体験した人種差別も大きなダメージとなっています。ダウンタウンに引っ越したいヴァネッサも業者から露骨な態度をとられ、舞台版では陽気で世慣れた少年として登場するウスナビの従兄弟ソニーにも、不法移民である自分に未来がないことを知って打ちひしがれる場面が。こうしたリアルな描写があることで、後半のビッグナンバー“Carnaval del Barrio”で移民たちがそれぞれの故郷の国旗を掲げるくだりには、自分たちの尊厳を保つという、より重い意味合いが見出されます。

【“次世代”にこめた作者の希望、祈り】

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ワーナー・ブラザース映画『イン・ザ・ハイツ』(C)Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved

映画版では、帰郷したばかりのニーナのナンバー“Respira (Breathe)”の中で、路上で生き生きと踊る少女にかつての自分を重ね、懸命に勉学に励んだ日々を回顧する描写があります。自分もかつてはあの子のように、夢と希望に溢れていたのに…とばかりに、寂し気に、呟くように歌うニーナ。そんな彼女が、アブエラに励まされたり、ベニーと心通わせ(彼との恋も映画版ではより、ほろ苦く展開)、移民の地位向上運動に参加するうち、人生の新たな目標を発見、再起に至ります。そしてソニーも、小さな可能性に懸けて自身の未来のために立ち上がり、ウスナビはごく当然のように彼を助けるのです。

若者たちのドラマが掘り下げられている分、舞台版で存在感を放っていたとある大人キャラクターは映画版に登場せず、ニーナの父のソロナンバーも歌われません。また、終盤にかなりのインパクトと意味合いをもって登場した“あるもの”も現れず、代わりにヴァネッサら若者たちの行動がウスナビの決意を変えさせ、“消えかけた町”ワシントン・ハイツに小さな奇跡をもたらします。町の“街灯”となり、この地に生きる、そして生きた人々の物語を語り継ぐという使命にウスナビが気づくさまが大きな感動を呼んだ舞台版と比して、映画版では明確に、若きラテン移民たちへの…あるいは夢を持って生きる全ての若者たちへのエールが、作品の核となっていると言えましょう。

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ワーナー・ブラザース映画『イン・ザ・ハイツ』(C)Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved

舞台版がリン=マニュエル・ミランダの故郷を描き、多分に彼自身の実感が投影されている作品であることを考えると、ブロードウェイ初演(2008年)から月日が経った今、映画化にあたり彼や(舞台版から続投の)脚本家キアラ・アレグリア・ヒューディーズが物語をより客観的にとらえ、“次世代”への祈りを込めるのは自然な流れだったのかもしれません。原作舞台を観た人ならば、もともとの作品のスピリットに今回の“未来志向”が重なり、『イン・ザ・ハイツ』という作品世界がより厚みを増して感じられることでしょう。その意味では、舞台版に加えて今回の映画版を観ることでこそ、『イン・ザ・ハイツ』という作品体験は完了すると言えるかもしれません。

“入れ子構造”が投げかけていた謎は、終盤に解明。映像ならではのささやかな“仕掛け”が明かされると、解放感たっぷりのシチュエーションの中で人々が歌い踊り、画面が歓喜に包まれます。舞台版で結末を知っていたとしても、改めてこみあげてくるものがあるのは、楽曲の魅力、キャストの瑞々しい演技に加え、そこに熱烈な“人生の肯定”があるゆえかもしれません。そのうち…と言わず、ネガティブな要素が社会に溢れた“今”こそ観たい映画の一つです。

(取材・文=松島まり乃)
*公開情報『イン・ザ・ハイツ』21年7月30日全国公開 公式HP(予告編、場面映像各種御覧になれます)
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*【参考】本年春に上演された舞台版(Microさん/平間壮一さん主演)の観劇レポートはこちら