Musical Theater Japan

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『ピーターパン』演出・森新太郎インタビュー「僕が見たいネバーランドは、これです」

『ピーターパン』©Marino Matsushima 禁無断転載

 “世界で最も有名な少年”が子供たちをネバーランドにいざなうミュージカル『ピーターパン』。1954年にブロードウェイで初演され、日本でも1981年から上演されてきた名作が、日本初演40周年を機に森新太郎さんの新演出でリニューアルされます。古典から現代劇まで幅広いストレート・プレイを演出し、『パレード』でミュージカルへの進出を果たした森さんにとって、『ピーターパン』はどのような作品に映り、今回はどのようにアプローチしているでしょうか。見どころ満載となりそうな新版について、たっぷり語っていただきました。

“なんでもできる夢の世界”は、
世代から世代へと受け継がれてゆく

――ミュージカルの演出は『パレード』に次ぐ2本目ですが、ミュージカルはいかがでしょうか?

「ミュージカルをやるときには、(演出プランを練る前から)半分演出が終わっているような感覚に襲われます。ストレート・プレイではどんな音楽を使うかというところから始まるけれど、ミュージカルではそれが既にあるので、音楽家がこの作品はどういう構造でどう見せたいのかというのを予め示してくれていて、残りの半分を僕が作ればいいんだなという感覚です」

 ――ということはまず台本があり、次に音楽が存在するというようにお感じでしょうか?

「そうですね。ストレート・プレイ出身なのでそう思うのかもしれませんが、例えばフック船長のキャラクターなんかは、音楽で演出がほとんどなされているじゃないですか。タンゴやタランテラやワルツなどを愛し、情熱的で、自己陶酔の激しい男。僕はその設定を大いに楽しみながら“これをどう発展させようかな”と考えながら作っていく感じです」 

――音楽があることで、クリエーションが制限されているように感じることはありますか?

「ストレート・プレイでは時間の制限がないけれど、ミュージカルではこの時間内に納めなければならない、というのはありますね。でもその不自由さが新鮮で、逆にそれを楽しんでいます。普段の芝居なら5分くらいかけそうな場面でも、よしぎゅぎゅっと1分で短縮してやってみよう、と。それによって新しい躍動感が生まれたりするので、その発見が楽しくて。
『パレード』もそうでしたけど、ラッキーなことに、本作はすごく楽曲の充実した作品なんですよね。一見バラエティに富みつつも底の部分にはネバーランドのテーマがきっちり流れているので、演出家としてはそこを失わず、あえてのバラエティさを生かしたいなと思っています。一言で言うと、今回もミュージカルを楽しんでいます」

(左)森新太郎 東京都出身。大学在学中に演劇活動を始め、演劇集団円『ロンサム・ウエスト』で演出家デビュー。シェイクスピアから近松門左衛門まで、幅広い戯曲を演出。自身が主宰するモナカ興業でも創作・上演を行っている。第21回読売演劇大賞の大賞、最優秀演出家賞を受賞。『パレード』でミュージカルを初演出。(右)『ピーターパン』ピーターとウェンディは意気投合して影絵遊びを始める。©Marino Matsushima 禁無断転載

――『ピーターパン』という作品自体には、もともと思い入れはおありでしたか?

「正直、『ピーターパン』のディズニー映画版があることも知らずに育ちました。僕が子供の頃は人形劇団プークとか小さな規模のお芝居しか観ていなかったので、『ピーターパン』というミュージカルについては、何も先入観がないんですよ。
もし幼少期からこのミュージカルを観ていたら、崩せないピーターパン像というものがあったかもしれないけれど、僕にはそういう縛りがまったくなかった分、やや異色のピーターパンになっていると思います。
これまでのホリプロ版は、去年公演が中止になって時間ができたので映像資料を見ましたが、僕が子供の頃に観たお芝居とは違って、スペクタクルだなと思いました。僕は最小限の舞台セットの中、足りない部分はお客さんの想像力で埋めて下さいというような素朴なものばかり見て来たので、僕がやるなら僕なりの攻め方で見せるしかないと思っています」

――本作は骨子としてはどういう物語だと捉えていますか?

「ネバーランドは子供から子供へ受け継がれ、永遠に輝きを失わない、という話だと思っています。お子さんを連れてきた親御さんが、今はなくしてしまったかもしれないけれど、自分たちもかつては”なんでもできる”という世界を持っていて、それは次の世代にずっと受け継がれていくのだな、と感じてもらえればと思います」

――子供のポジティブ目線で描かれるネバーランド、ということですね。

「ポジティブ以外の何ものでもないです。シンプルな物語ゆえに深読みというのはいくらでもできてしまうけれど、今回は深読み禁止なんです(笑)。大人の解釈で埋め尽くしちゃったら、急に世界がしぼんでしまうというか、ネバーランドとは何の比喩か…みたいな理屈のこねくり回しは作品の生気を奪うだけのような気がしています。
というのも、本作には子役ちゃんたちがいるんですが、彼らの喜びや興奮がね、大人が驚愕するような純度の高さなんですよ。毎日稽古場でキュンキュンするんです。休憩時間に彼らと喋っていると、俺も今、ちょっとだけネバーランドに行けてるなと思える瞬間がある(笑)。そのくらい無性に嬉しくなっちゃうんです。
原作者のバリが望んだことも、こんなふうに単純にわくわくすることだったんだろうなと思います。時々、僕と(ピーターパン役の)吉柳(咲良)さんとで“ここどうしよう”と悩んだときに、子役ちゃんたちに“君たちだったらどうやる?”と聞いてみるんです。そしたらタンバリン一つ叩くにしても、飛び跳ねながら頭で叩いたり、影絵で遊ぶにしても、自分のおかっぱ頭を指して“キノコ!”と叫んだりして、本当に周りの大人たちを幸せな気持ちにしてしまう。同じような幸せを客席にも届けられたら最高だなと思って。ネバーランドの住人である限り、どの登場人物も“中身は子供”なわけで、我々がそれを表現することで、みなさんにもネバーランドに飛んで来ていただけたらなと」

――その方向性は、閉塞感のある今の世相とも関連性があるでしょうか?

「この世相に無理矢理結びつける気はありませんが、僕なりの使命感も少しはあります。今、スマホでの子守が当たり前となりつつあるじゃないですか。いい悪いの話じゃなくて、もはやそうならざるをえない社会状況なのだと思いますけど、自分の子供の頃はとにかく想像力を一番のおもちゃにして遊んでいたなと。なんでもない砂場が、砂漠の戦場にも未知の星にもなる、そういった自由、世界が無限に広がる楽しさを今の子供たちにも味わってもらいたいという思いがコロナに関係なくありますね。なのでネバーランドの表現も、いわゆる“見立て”でやろうと考えています。何でもない大布が見る人の想像力によって、森にも海にも風にもなるはずです。」

――人形も登場すると聞きましたが、マリオネット的なものでしょうか?

「いろんな種類の人形を用意しています。普段の演出でしたら見た目や仕組みなどを統一するところですが、なんせネバーランドですので、今回はルール無用で賑やかにいこうと。巨大なワニの張りぼて人形もあれば、インドネシアの伝統的なマリオネットを応用したものなど、美術の堀尾(幸男)さんならではの奇妙なデザインがてんこ盛りです(笑)」

『ピーターパン』(左)今回の舞台では大きな布も活躍。(右)一瞬、別演目を観ている気分にもなれる⁈©Marino Matsushima 禁無断転載

――ごっこ遊びの空気感を大切にされているのですね。

「そうですね。大事なのは舞台上に漂う手作り感だと思っています。人形を操作する人の姿は常にちらちらと見えていますし、時には人形がうまく作動しないで、ぎこちない動きになることもあるかもしれません。でも、その粗っぽさがいいんですよ。プロジェクション・マッピングでは絶対に生まれないような温かみが出るんです」

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『ピーターパン』“子供の世界”を稚気溢れる演出で表現 ©Marino Matsushima 禁無断転載

――今回4回目となる吉柳さんのピーターパンをどう御覧になっていますか?

「彼女の武器はやはり、若さですね。あの若さは何物にも代えがたい。でも、この役に関しては、ちょっと歳をとってからやるといいこともあるんです。吉柳さんは初めて演じたときは中学生で、年齢的にあまりピーターパンと差がなく、どこまで“役を演じている”のか、線引きがあいまいだった部分も多かったんじゃないかと思います。
それから数年が経って、今はもっと客観的に子供の造形ができるはずです。子供ってもっとコロコロ気分が変わるし、大人の考え方で作らないほうがいいよ。クラスの人気者を思い出してみると、人気があったのは、かっこいいよりまず面白いやつだったろう?そこを目指そうよ、と彼女には言っています。僕は手加減しないので大変だと思うけれど、根性出して食らいついてくれて、無邪気なピーターパンに仕上がってきています」

――フック船長とダーリング氏役を今回、演じているのは小西遼生さん。まず、チラシで端の方に隠れて?いらっしゃる姿に驚きました(笑)。

「僕、あのチラシ大好きなんですよ。フック船長って基本的に、かっこいい人物じゃないですからね。ドジで姑息で愛嬌がある。ネバーランドで一番能天気なピーターパンと“ここは俺の縄張りだ”と張り合っているような人物です。
小西さんについては、普段の芝居を観ていて、わりとおさえたトーンの二枚目のイメージがあったので、それをどうにか突き崩さなきゃと思って緊張して稽古に臨んだら、その緊張が全く必要ないくらい、おバカな芝居が大好きな男でした(笑)。こちらの想像以上に子供っぽいフック船長をコミカルに作ってくれて、楽しいですよ。

『ピーターパン』©Marino Matsushima 禁無断転載

あと、ダーリング氏役の小西さんだけ(フック船長として)ネバーランドに行くのも何か気持ち悪いので、今回はお母さん(ダーリング夫人)役の瀬戸カトリーヌさんも行きます。まさかのダチョウ役として行くんですけど(笑)、瀬戸さん、嬉々としてやってくれています。
もう一つ、この話はウェンディが大事で、ピーターパンと対をなす存在なんですね。弟が二人という設定なのでどうしてもお姉さんキャラクターになりがちだけど、今回ウェンディ役の美山加恋さんには、『となりのトトロ』で言えばサツキになる必要はない、メイちゃんの方だよと言っています。メイちゃんは未就学児だから、もっともっと幼く作ってくれと要求したら、掛け合いの温度がぐんと上がって、こんなに仲良しの二人だったら一緒にネバーランドへ行くだろうなと実に腑に落ちました。新たなウェンディ像を楽しみにしていただければと思います」

『ピーターパン』©Marino Matsushima 禁無断転載

――例えば幼稚園の女の子が、おままごとでおませにお母さんごっこをしているような?

「そうそう、こういう女の子が目をキラキラさせていることでピーターパンはどんどんサービスしてあげたくなっちゃうんだな、と。まずはこの子ありきのお話なんだなと思います。だからこそ、最後に大人になった時には話し方から何から変わってしまって、いっそう切ないんです」

――どんな舞台になればと思っていらっしゃいますか?

「ネバーランドに住んでいるのが子供たちなら、ミュージカルだからといって、きれいな整った世界にはまとまる筈がない。客席にエネルギーが溢れ出てくるような舞台にしたいです。観ている方が、その賑やかさにあっと驚いたまま気が付いたら終わっている、というひとときになればいいですね」

――『ピーターパン』の新たな時代が始まりそうですね。

「この時代がどれだけ続くかは分かりません。一瞬で終わるかもしれないけど(笑)、僕が行きたいネバーランドはこれですというのを、惜しみなく詰め込んだ舞台になっています」

――コロナ禍では演劇界も甚大な被害を受ける一方で、様々な課題が顕在化しましたが、森さんは今、どんなことが気になっていらっしゃいますか?

「コロナ禍そのものについては、まだまだ(演劇人が)耐えるしかない状況が続きますが、思えばシェイクスピアの時代だって、疫病のために何度も劇場封鎖されているんですよ。人間が集まるところだから、劇場って昔からそういう宿命があるんですね。
でもシェイクスピアは芝居の出来ない間に詩を書いてスキルを上げ、そのあとに『ロミオとジュリエット』を書いています。それもアーティストの一つの生き方であって、不自由と仲良くしながら自分の作品をより豊かにしていくほかないんじゃないかと思っています。自分たちにとって生(なま)の舞台がどれだけ大切なものだったか、あらためて知ることができましたし。
そんな中で、今回の『ピーターパン』は、子供たちにも生の舞台の良さを伝える格好の機会だと思います。特に東京公演では生演奏なんですよ。僕自身、『パレード』の時に生演奏でのミュージカルというものを経験して、なんて素晴らしいんだ、知るのが少し遅すぎたと思いました。あの音の感触、迫力はぜひ子供のうちに味わってもらいたいですね」

(取材・文・撮影=松島まり乃)
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*公演情報『ピーターパン』7月22日~8月1日=めぐろパーシモンホール 大ホール ほか 公式HP
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