Musical Theater Japan

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『パレード』観劇レポート:“どう生きるのか”を問う舞台

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『パレード』撮影:田中亜紀

ドラムの音に他の楽器が重なり、幕が開くとそこは赤い大地。一本の巨木の陰から若い兵士が進み出、戦地に赴く者の決意を歌い上げます。


次いで片足を失った老兵が、輝ける日々を回顧。歌詞からは、彼が先ほどの若い兵士の“今の姿”であることがうかがえます。故郷を守るためなら、(残った)右足さえ捧げようと歌う老兵。いつしか白い衣裳で着飾った人々が大挙し、降りしきる紙吹雪の中、かつてこの南部の町から南北戦争に出征した兵たちを称えます。

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『パレード』撮影:田中亜紀

歌声が大きさを増して異様なまでの高揚感が舞台に満ちると、その情景はフリーズし、手前でレオ・フランク宅での夫婦の会話が展開。勤勉なレオは、その日が戦没者追悼記念日であることなどお構いなしに、これから仕事に行くといい、ピクニックに行きたかった妻ルシールを落胆させます。家を出て熱狂する人々の渦に巻き込まれ、過去志向の南部人は理解できない、妻とも分かり合えないと嘆くレオ。


翌日、唐突に刑事の訪問を受けたレオは、そのまま容疑者として勾留されることに。彼が働く工場で13歳の工員メアリーの他殺体が発見され、事件の早期解決を州知事から命じられた検事ドーシーが、レオを犯人と断定したのです。何も証拠が無い中で、ドーシーは町民たちに嘘の証言を強要。極悪人に仕立て上げられたレオには、裁判で信じがたい判決が下されますが…。

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『パレード』撮影:田中亜紀

20世紀初頭に実際に起こった冤罪事件を舞台化し、99年トニー賞で脚本賞(アルフレッド・ウーリー)、作曲賞(ロバート・ジェイソン・ブラウン)を受賞。17年の日本初演がセンセーションを呼んだ『パレード』が、一部新キャストを迎えて再演中です。


南北戦争から半世紀、敗北の痛みと誇りの中で生きる人々が、いかに“北部出身のユダヤ人”に殺人の濡れ衣を着せ、裁いていったか。そして四面楚歌の中、フランク夫妻がどう闘ったのか。シリアスな物語を多彩な音楽で彩り、ミュージカルという形式に落とし込んだ本作を上演するにあたり、日本版では“光”を活用。一瞬の照明の切り替えによって観る側の意識を途切れさせずに場を移したり、衝撃的な描写の直後に斜めに空間を切り裂くように光をあて、観客の心持とシンクロさせたり、希望に満ちたシーンでは白、“過去”に囚われたコミュニティを象徴する場では赤い光で舞台を覆ったりと、様々に工夫。劇的効果とスタイリッシュなヴィジュアルが見事に両立しています。(演出・森新太郎さん)

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『パレード』撮影:田中亜紀

しかし第一の見どころはやはり、このヴィジュアルに埋没することなくそれぞれに強烈な存在感を放ち、観る者を物語世界へといざなう演者たちでしょう。主人公・レオ役の石丸幹二さんは、北部の価値観を引きずり、南部での暮らしに馴染めない不器用な男が事件に巻き込まれてゆく過程を丁寧に表現。はじめは動揺し、妻に対してもぞんざいな態度を見せてしまうが、絶望的な状況下で思いがけない行動力を発揮する彼女に衝撃を受け、自分を顧みるようになる姿を赤裸々に、誠実に演じています。

その妻ルシール役の堀内敬子さんは、異なる環境で生まれ育ったエリート夫との暮らしにどこか空虚さを感じていたのが、突然その夫、無口だが正しく、優しい男であることは間違いない自分の夫が殺人犯に仕立て上げられ、彼への信頼をよすがに無我夢中で奔走するようになる様が鮮烈。特に裁判を傍聴する間とラストで爆発しそうな感情を堪える姿が、演技を超えた生々しさです。この二人が一つの苦難を乗り越え、ようやく互いの本当の姿に気づいて“わかっていなかった 何も…”と悔やむデュエット“無駄にした時間”には深く、強い愛が満ち溢れ、哀しくも幸福なクライマックスとなっています。

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『パレード』撮影:田中亜紀

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『パレード』撮影:田中亜紀

大統領も射程に入るほど上昇気流に乗っていたのが、ルシールの一言で目が覚め、出世街道ではなく“人としての道”を選ぶ州知事スレイトンとその妻を、良心に加えて“持てる者”のゆとりを滲ませて軽やかに演じる、岡本健一さん、秋園美緒さん。貧しさの上に今、娘を喪って憔悴しきった姿が真に迫るフェイガン夫人役、未来優希さん。的確な彼らの表現が、マリエッタというコミュニティの頂点と底辺のコントラストを際立たせます。また熾烈な反ユダヤ主義を人々に植え付ける白人活動家ワトソン役で不気味なほどに優しい子守歌を聴かせる今井清隆さん、生まれながらに差別を受け、やり場のない怨嗟をブルース“土砂降りの中で”に込める黒人清掃員ジム役、坂元健児さんもこの町の多種多様な立場を象徴、レオの悲劇が一筋縄ではいかない、根深い背景を持つものであることを痛感させます。

石川禅さんの、いかにも悪役然とするのではなく、殺人事件による町の痛みをより効果的に鎮めようと、淡々とレオを犯人に仕立て上げてゆく様が恐ろしいドーシー検事、宮川浩さん演じる、どこか頼りなさげだが何とか最後に辣腕を発揮してくれないか…と観る者に藁をもつかむ気分にさせるロッサ―弁護士、少年少女の無邪気なやりとりが後の悲劇をいっそう際立たせるメアリー役の熊谷彩春さん、フランキー役の内藤大希さん、嘘の証言をする際に人形振りのような振りを完璧なシンクロで見せ、集団ヒステリーの中で踊らされる虚しさを体現する3人娘(水野貴以さん・吉田萌美さん・横岡沙季さん)も印象的。

また、筆者の鑑賞日、クレイグ役は本役の武田真治さんではなくスイングの田川景一さんが演じていましたが、記者としてくすぶっていたクレイグが恰好のネタを得て小躍りし、容疑者レオの醜聞を集める様をエネルギッシュな歌とダンスで魅せ、レオの妻ルシールと接触してからは少しずつ軸足が変わってゆく過程を人間くさく表現。無期限ロングランを前提としない公演では今後、不測の事態に備えてスイング制度が定着してゆくことも予想されますが、今回の田川さんの好演を観るにつけ、“不測の事態”が起こらなければ全く舞台に立つ機会がないというのは勿体なく、各公演一度はスイングが何らかのメイン・キャラクターを演じる機会が作られてもよいのでは、と思われます。

物語は最後に衝撃的な展開を見せ、終幕後すぐに気を替え、席を立つ人はあまり見受けられません。SNSが蔓延する中で真実がたやすく歪められうる今、私たちにとってレオの悲劇が到底“遠い世界の出来事”ではないためでしょう。“何に依って、どう生きるのか”“希望はどこにあるのか”と、鋭く問いかけて来る舞台です。

(取材・文=松島まり乃)
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*公演情報『パレード』1月15~31日=東京芸術劇場プレイハウス、2月に大阪、愛知、富山公演 公式HP