売れないクラブ歌手デロリスは、殺人事件を目撃したことでギャングに命を狙われ、修道院に匿われることに。厳格な世界で生きる修道女たちと奔放なデロリスは、当初まるで相いれないが、彼女たちのおよそ"上手“とは言えないコーラスをデロリスが指導するうちに…。
対照的な世界に生きる人々が音楽を媒介として、互いにかけがえのない存在となってゆくさまをコミカルかつスリリングに描き、世界的なヒットとなった映画を舞台化。14年に日本初演、絶賛されたミュージカルが16年の再演を経て、今年3演目を迎えます。
この舞台で初演からヒロインのデロリスを(ダブルキャストにて)底抜けに明るく、テンポよく演じ、これ以上ないはまり役として愛されているのが森公美子さん。3回目のデロリス役に、今回はどう取り組んでいらっしゃるでしょうか。本作の大きな魅力であるアラン・メンケンの楽曲の魅力、森さんの舞台人としてのスタンスを含め、たっぷりお話をうかがいました。
“ その瞬間“をとらえながら演じるということ
――3年前の再演では、どんな発見がありましたか?
「とにかく“慣れてはいけない”作品なんだな、と感じました。予定調和の演技をしたり、狙ったところにいこうとすると、絶対失敗するんですよね。わざとらしくなってしまうんです。
デロリスは偶然、殺人事件を目撃してしまうのだけど、そこで駆け込んだ警察署で、“あっ!、この警官、高校で同級生だったかも?”とか、“どこに隠れよう”、修道院に着いてからは“なんだ?ここ”と思ったり、といった一つ一つの状況について、常にその瞬間、瞬間に感じたことを大切にしなくちゃいけない。終盤で銃口を向けられた時も、私がその瞬間に“どうしよう、死んじゃう!”と感じることで、呼吸の使い方も違ってくるはずなんですよね」
――演技をするということの根幹にも関わるお話ですね。回数を重ねれば芝居は深まる。けれど同時に“慣れ”てもいく、という…。
「“慣れ”になってしまった演技を観るほど、つらいことないじゃないですか。私自身、そういうお芝居に行き当たると、お笑いを観に行ったほうがよかった、と思っちゃう(笑)。その瞬間、瞬間をとらえたリアクションをするからこそ面白さが生まれて来るのであって、役者が新鮮であればあるほど、その空間も新鮮さを保てる。長くやっているからこそ気を付けないと、と思います」
――長く、という点では同じく初演から続投の鳳蘭さん演じる修道院長とのバトルも注目されます。
「スパークしてますよ。デロリスは修道院長とはじめ犬猿の仲で、“人生を改めなさい”とたしなめられるんですが、前回の公演で鳳さんに、“あそこで修道院長が去った後に、「くそ婆あ!」って言っていいですか?”とお尋ねしたら、鳳さんも心の広い方で、“いいわねぇ”って(笑)。そこでデロリスの心の声をアドリブとして“くそ婆あ!”と出してみたら、会場がどよめきましたね。芝居で遠慮は禁物なので、今回もバチバチやると思います」
――大都会の真ん中にある別世界、修道院が舞台というのも面白いですよね。
「先日、出演者たちと赤坂の修道院に見学に行ったんですよ。初演の時にも行ったんですが、修道女役のキャストと違って、(デロリス役の)私はあまり知識を入れないほうがいいから、“テレビとか、ご覧になるんですか?”って尋ねるくらいで。はい、見ますということだったので、“香港のデモの様子とかご覧になって、現地のために祈ったりされるんですか?”と尋ねたら、“香港に限らず、先日の震災だったり、9・11であったり、いろいろなことが起きるたびに祈りはずっとしています。私たちのためではなく、皆さんの心が救われるよう、お祈りしています”とおっしゃるんですね。皆が幸せに、世界が一つになるようにと祈ることが仕事なんだと。そういった祈りをして下さる方がいらっしゃるからこそ、私たちは幸せを感じることができるんだな、と感動しました。
讃美歌にしても、修道女の方たちは専門に歌っているわけではないから、大きな声が出るわけではないけれど、心から神様に届けているんですよね。そんな彼女たちが、喉の訓練で大きな声が出ている私たちの歌に対して、“その声があればたくさんの讃美も祈りもできるのにね”と羨んでくれて、なんていう(清らかな心の)人たちなんだろうと涙が出ました。
そういう心を持った人たちに歌唱指導だなんて、デロリスはもしかしたら無意味なことをしているのかもしれないけど、でも歌がうまくなることでお金が集まれば、修道院が存続していく。だったらうまいほうがいいじゃない、ということで彼女は頑張るんですね。
それにみんなで歌うということがとても楽しくて、人生で初めて“居場所”を見つけてしまう。彼女の存在はシスターたちにも影響を与えて、最後には身を挺してデロリスを守ろうとする。お互いの心の動きがそのままミュージカルになっていて、映画版で主演したウーピー・ゴールドバーグさんはよくぞこれをプロデュースして(舞台化して)くれたなぁと思います。版権を買って、アラン・メンケンさんに作曲も頼んでと、膨大なお金を使っているわけですから。ウーピーさんには本当に感謝しています」
アラン・メンケンが1000曲以上聴きこんだ研究成果がディテールに現れた音楽
――その音楽ですが、ジャンルとしてはR&Bやゴスペルが基調となっていますが、歌っていてアラン・メンケンらしさはどんなところにありますか?
「この作品は、まず音楽のレンジ(範囲)が広いんですよね。讃美歌にしても、最初はグレゴリオ聖歌の完ぺきなコピーから入って、ゴスペル部分ではデロリスが歌うところはR&Bで、メアリー・ロバートのパートではちょっと変えて、と細かく変化があります。R&Bの曲の中にもラテン系のリズムが入っていたりとか。それにも驚きますが、もう一つ、アランの歌の中には必ず、そのキャラクターのパワーを出せる“パワースポット”が作られていて、“ここが聴かせどころだよね”というのがあります。尻切れトンボのような曲は一つもないのが凄いんですよ」
――“聴かせどころ”というと、“サビ”ということでしょうか?
「サビではないです。ミュージカルって、"言いたい台詞“が音楽になったものだと思いますが、アランの作品では、そのキャラクターが言いたいことを上手に(音楽にのせて)引き出して、ドラマティックに聴かせてくれるんですよね。譜面を読んでいて、ここをピアニシモにしてこころフォルテにするんだな、と驚くこともあるし、オーバーチュアのジャジャジャジャン、という第一音からして、下からせり上がってくるウキウキ感を表現していて、凄いなと思います。この音楽だからストーリーも生きて来るんだろうな、と」
――以前、彼は創作にあたってピアノの前でひたすらストーリーについて考える、そうするとメロディが浮かんでくると聞いたことがありますが、それだけでなく、彼は演出家的な想像力が豊かなのかもしれないですね。
「もちろんそうでしょうね。歌詞からもストーリーからも、インスピレーションを得ているんだと思います。それと彼は、この作品の時すごく苦労して、R&Bを一から勉強しなおしたと聞いています。1000曲も2000曲聴きこんで、リズムを体得したそうなんですね。
例えば私がギャングの親分、カーティスから離れるのを決心するとき、4拍子の中に入ってくる音が全部3連なんですよ。タタタ・タタタ・タタタ・タタタって。歌い上げるところもそれなりにあるけれど、ひたすら3連で語っているんですね。これはどういう意図なのかな、と思ったけど、3連って歌詞を立たせるのに効果的で、歌詞に意味が出て来るので、おそらく“気持ちを先行させる”という狙いだと思うんです。“見てよ、あたしけっこうイケるでしょ”と、彼女の心の動きを歌っているんでしょうね。もう一つ、タタタ・タタタ・ターターターと、8分の6の後に付点四分音符が二つ来る“2拍3連”というのもあって、これは日本人にはなかなかないリズムだけど、これも心のありようをぎゅっと表現していて、言葉にパッションを持たせています」
――細かいところで“巧さ”が光るわけですね。
「譜面をみて、“おぉ、こう来るか!”ということは多いですね。指揮者の塩ちゃん(塩田明弘さん)ともよく話すんですよ。“ここ、このリズムで来るってすごく攻めてるよね”“だからここは強引にいっていいんだよ。ただ、走らないようにしないとね”というやりとりがあって、譜面に“落ち着け、あたし”と譜面に書いたり(笑)。アランの音楽は本当に緻密ですよね」
“みんなが素敵”な愛のミュージカル
――テーマ的な部分では、人生が楽になるというか、新たな見方を教えてくれる作品でもありますね。
「愛の作品であることは間違いないし、自分探しの物語でもあるかと思います。デロリスはこうしようと思っていたプランが次々に変更になっていくけど、いろいろな出会いを経るなかで、新しい自分が見えて来る。それまで否定され続けていた自分が必要とされるようになる。そしてシスターたちも、あんなにデロリスを迷惑がっていた修道院長さえも変わっていく。愛が愛を救っていく、最も素敵な人間愛の話ですよね。一人ひとりが種をまいて、お互いに水をあげていって。そうして花が咲くまでを描いた物語なんだな、と思います」
――今回は新キャストも加わりますが、どんな舞台になるといいなと思っていらっしゃいますか?
「この作品に出会えたことが人生で一番のラッキーと言えるほど、本作は素敵な作品です。ミュージカルというと一人の主役がひたすら歌声を聴かせるような作品もあるけれど、この作品に関しては出演者のすみからすみまで笑顔で支えあっていて、困ったときにはみんなで一喜一憂するというのが特色。稽古をしていても“ここは私の見せ場”みたいな空気になることはなくて、みんなで作り上げ、みんながステップアップしていく作品だと思っています。
だからご覧になった方からも誰か一人だけがよかったというのではなく、“みんながよかった”“みんなからパワーをもらえた”と言っていただけるのが嬉しいんです。今回は新キャストも増えますので、みんなのフレッシュな意気込みがシスターたちのドキドキに反映されて、1幕最後のコーラスにうまく繋がっていくんじゃないかな。新鮮な舞台に仕上がるといいなと思います」
なんでも挑戦し、自分を磨き続けたい
――プロフィールについても少しだけうかがいたいのですが、本作でデロリスという当たり役を手にされたことで、観客の中には森さんといえば“主演クラスの方”というイメージが定着していると思いますが、最近も『レベッカ』のヴァン・ホッパー夫人など、脇の役を生き生きと演じていらっしゃいますね。
「それはそうですよ、私は役者ですから(笑)。ヴァン・ホッパーなんて1幕に出て、あとはお休みですけれど、1幕1場に命かけていますからね(笑)。出番は短くてもご覧になった方に“すごい圧があった”“面白かった”と言われれば“よーし”と思うし、嬉しいです。
『レベッカ』では、(主演の)山口祐一郎さんが『レ・ミゼラブル』の同期の桜で、彼が初めてジャン・バルジャンをやったとき、トリプルキャストで(先輩方の手前)なかなか稽古のチャンスがなくて、ある日稽古が終わってみんな帰った後に、稽古場で囚人の歌が聞こえてきたんですよ。彼が一人で稽古していたので、私も“やる!”と一緒に付き合って。そんな思い出がある関係で、『レベッカ』でヴァン・ホッパーが彼にモーションをかけるとき、彼のリアクションがすごく面白くなっちゃったことも。“今回は面白い役じゃないのよ”“いいんだよ”というやりとりがあったりして、楽しかったですね」
――貪欲な役者さんなんですね。
「そうかもしれないですね。主役しかやらない、みたいにこだわってたらそこで止まってしまうような気がするんですよ。なんでも挑戦してみたいです。舞台表現は年齢につれて動きに制約が生まれてくると思うので、今は舞台優先になってしまっていますね」
――狙っている役どころはありますか?
「何でもやらせていただきたいです。“これはできないだろう”というものであっても、やります! 舞台の上で死にたい、とまでは思いませんよ、ご迷惑になってしまいますから。でもやれるならやれるだけやりたい。小劇場からもお声がけいただけいただけたらと思っています」
――ストレート・プレイとか?
「今一番欲しいオファーです、歌のない役。歌に逃げてしまうというのを自分でも気にしているので、台詞劇は嬉しいですね。新国立劇場の小劇場なんて大好きだし、下北沢も行きますよ。スズナリはサイズ的に楽屋に入れないかもしれないけど(笑)、出てみたいです」
――森さんは共演者の健康を気遣って素敵な差し入れをされることでも有名ですが、最近、ご自身の食生活ではまっているものはありますか?
「玄米にはまっていて、発酵玄米を自分で作っています。白米もおいしいけれど、家にいるときは玄米もいいな、と。食べるようになってから血液検査も正常値なんですよ。腹持ちもいいし、繊維質やビタミンも入っていて、体にいいような気がします。家では『レ・ミゼラブル』な食事(=粗食)で(笑)、イワシを煮たり焼いたり、それに納豆と具沢山の味噌汁とでいただいたり。ベジタリアンやビーガンというわけではなくて、お肉も生姜焼きにしていただくこともあります。『レ・ミゼラブル』で一か月、ぬか床が触れなかったので、前に作ったものはみんなに差し上げてしまったけど、最近また作っているところです」